読んだり食べたり書き付けたり

霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

旅先ちょっと怖い話

その一

新潟駅から磐越西線で約一時間の咲花温泉というところに、温泉に入りにひとり旅してきました。部屋の窓いっぱいに阿賀野川が広がる旅館に二泊して、二日目の午前中に阿賀野川ライン舟下り。

その時のガイドというか、船頭のワタナベさんが、話も舟歌も替え歌もうまく、とても面白かったのですが、旅館に帰ってチケットの裏側の船頭一同を見たら、ワタナベさんがいない。なんらかの理由で名字が変わったのかと小さな顔写真を見るけれど、やはり、いない。えーっと……。舟幽霊? それにしては朗らかすぎたけどなあ。


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その二

舟下りが終わって、近くに住む長年の友達が車で遊びに来てくれました。そのままドライブしていくと、偶然、阿賀町三川の将軍杉という、六つ又で樹齢1400年の木の看板を見つけて見に行くことに。木は素晴らしく、写真ではまったくその凄さが伝わらないと思ったので、撮っていません。で、凄いねえと言いながら案内板を見たら、こんな文言が。

 

ある村人がこの杉を切り船をつくろうとしたら、一夜にして地面に沈んでしまった。

 

うーん、それは、その村人がほかの村人にボコられて、一晩、首の下まで地面に埋められた、とかそういう、その、つまりは、村八分的な話ですか? 

 

もちろんそうではなく、木の方が枝先まで地面に沈んだ、という伝説だそうです。日本語って、難しいですね。


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その三

阿賀野川ライン舟下りのチケットの船頭一同にはいなかったワタナベさんの話。

某宮様が独身の頃、お一人で咲花温泉にいらっしゃることに。温泉街で、いちばん大きい旅館に泊まられるとのこと。しかし、お一人とは言っても、なんとお供が26人!(26人も、なにするの?)

そして宮様が泊まられたあと、ワタナベさんが歩いていると、顔見知りのその旅館の女将が向こうから歩いて来るので、聞いてみた そうです。

「あ、どうでした? こないだの宮様」

すると女将、大きくため息をついて、

「大赤字ですわ」

27人泊まって大赤字とは? と不思議に思ってさらに聞いてみると、宮様が泊まられるのが半年前にわかってから、絨毯を全館で張り替え、窓ガラスもすべて交換したとのこと。

ワタナベさんが、

「そこまでしなくても、いい加減なところでやめておけばよかったのに」

と言うと女将、鼻から息をふんっと吐いて

「ウチには宮様をお泊めする旅館としてのプライドがありますからっ」

 

その旅館、いまもありますが、その大赤字、どれくらいで回収できたんでしょうね。なお、咲花温泉は、最寄駅は無人駅、全部で7軒しか旅館のない、ごく小さな温泉街です……。

温泉|咲花温泉旅館協同組合

なお、こちら↓は駅のホームからの駅前の様子。

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レッスン覚え書き

諸事情により朝食抜きで、移動中にスムージーホイップクリームあんぱんのみ摂った状況でアクエリアスを持ってレッスン室へ。

初めてさんが四分の一いたので、いつにもまして丁寧なレッスン、だけど「タンジュっていってもこのように単純ではないんですねぇ~。……今のは忘れてください」と、先生が快調にギャグをちょいちょい挟んでくるのは変わらず。

今日は足の指の使い方における、足の裏の筋肉の把握についてがメイン。足の裏が攣るポーズ満載でしたが、先生曰く「攣るのはそこを使ってる証拠だから大丈夫!」。あとで行った整体では、足の裏だけでなく、脚の裏側全部の筋肉が「使いました!」という感じで張ってると言われました。そして今日もステップでできないものが発生……。

 

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それから遅いお昼を軽く食べて整体へ。なぜ軽くかというと、整体で調整されるときにおなかいっぱいだとオエッてなるので、ほどほどにチェーン店のサンドイッチなど。たまたま今日、レッスンのあとの時間に担当の先生が空いていたので予約を入れて行ったのですが、なんと今日で終わりと聞いて、今月いっぱいいらっしゃるのかと思ってたので、びっくり。回数券一回残ってるけど、そしたら系列の別の整体院で使おうかなあ。

 

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などと考えながら、食欲を満たしにミスドへ。ベジソバというのを頼んでみたら、千切りにんじんの下に麺があるのか? と思わせて、パプリカ色の麺でした。あとカレーパイとクレームブリュレドーナツのアップルシナモン。ハロウィン商品パイに押されてか、紅茶スティックミイラがあるだけ。月末に向けてまた復活するのかな?

 

今週のお題「最近おいしかったもの」

ちょっとだけ参加の「地平線会議40年祭」

日にちが決まった時点で、その翌日からの休暇が決まっていたので、さすがにその前日にも休みを申請することができず、「……行けない(涙)」となった地平線会議40年祭ですが、がんばって早起きして第一部だけ聴いて出社。

なお、 地平線会議というのはさいきん流行りのTV番組「クレイジージャーニー」みたいなことを、1979年から月に一回報告者を読んで話を聞く、ということで続けている、世界を舞台に活動している行動者たちのネットワークです。探検部や山岳部出身者多め。

chiheisen.net

そもそもふだんのわたしの午前中は睡眠時間! でも糞土師の伊沢正名さんと関野吉晴さんの話だけでも聞いてから出勤したい! との思いで20〜30分遅れで着けるかなあ、くらいで家を出て、見込み通り遅れて着く。関野さんが進行役という贅沢な時間。けど関野さんも言ってたけど、一人二時間は要るスピーカーを2、30分ずつって、時間足りなすぎ! ほんとなら服部文祥さん+坪井伸吾さんトークまで居られるはずが、関野吉晴さん+伊沢正名さん+樫田秀樹さんのトークのみ聴いて出社。


会場に入ったら樫田さんのボルネオの先住民のお話の最中で、つぎつぎ映し出される先住民の全身のすごい筋肉に圧倒される。見せるためではなく、使い込んだ筋肉。あえていえば徳弘正也さん作品で見たことのある筋肉。

彼らは夜中でも昼間と同じように森を歩き、吹き矢で獲物を仕留めるという。猿を捕る際に、小猿が生き残ったらそれは殺さずずっと大切に育てる、というのはちょっとアイヌイオマンテっぽいなあと思ったり。サゴ椰子から採るデンプンでつくる葛湯が彼らの主食とのこと。そして、そのような森からいただく、という生活について彼ら曰く、「熱帯雨林はあなたの国でいえば銀行のようなもの、われわれは利子だけもらって生活してる」と。

だが、そのようなボルネオの先住民がなぜ順番に行うサスティナブルな焼畑農法をやめたのか、コメを収穫する籠に年単位で蜘蛛の巣が張っているのはなぜかを聞く前に時間切れで次の方に。残念無念。

shuzaikoara.blog39.fc2.com

また、樫田さんと関野さんとの話の中で、上記のような社会の「ありがとう」「ごめんなさい」の言葉のないわかちあい文化について触れられたのが興味深かった。 感謝してないわけじゃないけど、ありがとうの言葉がない、悪いと思っていないわけじゃないけど、ごめんなさいもない、言うと「そんなこと言うな」と言われる。これは、持てるものはものも知識も技術もすべて分かち合うのが当然の社会だから。

関野さんが「森の中で収穫があると、チンパンジーなんかはそこで独り占めして食べてしまうけど、人間は持って帰る。チンパンジーは『20人もいる集落に持って帰って分けるなんて、バカだなあ』と思ってると思いますよ。でも、平等にわけたグループが生き残ったのではと思うんです。学者の方は『でもエビデンスがないでしょう』と言う。でもね、人間社会で生き残っているのは結局、平等に分ける指向性を持っているグループ、国じゃないですか? それがエビデンスです」という言葉にはうなってしまった。
 
続いて糞土師の伊沢さんへの関野さんからの「ヴィーガンのひとたちの、植物は意識も痛みもないって考え、どう思いますか?」という鋭い切り込みからの展開も、もっと詳細に聞きたかった。読めば、って話もあるかと思うけど、関野吉晴さんとの会話で聴く醍醐味ってものがあるわけで。

伊沢さん曰く、「植物は生き物じゃないって思ってる人がいるけど、植物だけじゃなく、菌類や微生物だってわれわれと同じ生き物です」「われわれは植物が光合成した結果の、うんこであるところの酸素を吸って生きてるんです」「人間を基準に考えてるからわからない」。まさに。中学の理科で光合成を知ったときのような新鮮な衝撃!

関野さんさらに追撃、「伊沢さんは野ぐそしないときってあるんですか?」。伊沢さん曰く、「2000年に入ってからでは14回です!(18回だったかも?)こういうところに呼ばれますと、どうしてもね」。カウントしてるし、即答できるくらい記憶してるんだ……。悔しさのあまりか? と思っていたら関野さん、「こういうところに呼ばれたときに、トイレでしたのをビニール袋に入れて野に埋めるっていうのはダメなんですか?」。伊沢さん「ダメじゃないけど、面白くないからやりません」。そうですよね、面白いか、面白くないかですよね!

nogusophia.com

また、関野さん自身の、医師として検便しようとしたら、「お前はここではウィッチドクター=ホワイトマジシャン=ブラックマジシャンだから、出したばかりでまだ自分の身体の延長にある便は呪いをかけられそうで怖くて託せない」と、言われた話も漆原教授感あって面白くも素晴らしかった。いや、ウィッチじゃないドクターですよ〜、と思いつつ、会場で笑ってしまった。

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なお武蔵野美術大では関野さんの展示が週明け15日(月)からあります。明日から11月10日までの一か月弱。グレートジャーニーに使った丸木舟縄文号も展示されるとのこと。本人によるギャラリートークや、「カレーライスを一からつくる」「プージェー」などの映画上映とトークの会も。

関野さんがどうやら今年度で武蔵美をやめるらしく、集大成っぽい展示になるようです。商店街にもこれまで50年撮ってきた写真を引き伸ばして展示する計画もあるらしい(本人談でサイトにないので確認するまでなんともいえませんが)。

関野吉晴ワンダースペース | 美術館

 

お題「今日の出来事」

嗅覚の変容

早起きして出社前に秋の花粉症の薬をもらいに耳鼻科へ。眠い……。

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ところで、花粉症の薬は内科でももらえるのに、別で耳鼻科に行っている理由は、ここ数年の嗅覚の劣化のため。今年の春までは耳鼻科で点鼻薬漢方薬を処方されていたのだが、少し元に戻ったあとは頭打ちで、さいきんは点鼻薬だけになっていた。今後、別の治療法を導入するとしたら、レーザーで鼻腔内を焼くことになる。


料理人でもないし、嗅覚が効かないからといって、ものすごく困る、ということはないのだけど、「これはヤバいのでは?」と耳鼻科に相談するきっかけになったのは、数年前の夏、賞味期限近い肉か牛乳の匂いがぜんぜんわからなかったこと。そして脳裏に蘇る、わたしがミュージカル嫌いになった演目内で、鼻の効かないデブが腐った肉を挽肉機にかけ、ソーセージを作ろうとして、うまくいかずにソーセージの皮が破裂、腐った挽肉が部屋中に弾け飛ぶシーン。


いやそれは困る。生命の危険がある。それで花粉症でかかっている耳鼻科と頭痛の名医に相談しに行ったのである。
今はいい匂いがわかりにくいが、イヤな匂いはわかる、という趣味的にはまずいけど、生命の危機は察知できそうな状況。

どんな感じというと、こないだバレエを見に行ったときに、一幕と二幕で夫の人と席を交換したのだが、わたしがおっさんの加齢臭を感じる席(なおまわりにおっさんは座っていない)が、夫の人には女性の香水キツすぎな席、という感じなのである。


耳鼻科の先生によると、嗅覚の劣化は聴覚の劣化に似ていて人それぞれだという。低い音が聞こえなくなる人もいれば、高い音が聞こえなくなる(モスキート音とか)人もいるし、音がひずんで聞こえるように、匂いがゆがんで感じられることもあるのだという。
匂いがゆがむ! それはいったい、どんなものなのだろう、それは。おっさんがいないのに、嗅覚が発散する香水で運ばれた加齢臭のみにフォーカスしてしまうのもそれなのだろうか?

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ちなみに漢字で書くと、「ひずむ」も「ゆがむ」も「歪む」なのだが、わたしの中ではこの二つの言葉は微妙に違う。なお、いつもの日国ではこんな感じです。


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濡れ落ち葉と未来少年コナン

夫の人は小学校高学年のあるとき、テストで満点が取れなかったのをきっかけに学校での勉強が嫌いになり、以降は国語と歴史の授業が特に嫌いでノータッチだったため、日本で生まれ育った日本人で、習字を習っていたこともあるのに、日本語が堪能ではない。その日本語力のなさは、神々しいを「かみがみしい」とか発音してしまうほどだ。そのせいか、日本語の表現で面白い言葉に出会うと、しばらくそれを気に入ってリピートする。

そんな彼のさいきんの流行り言葉は「濡れ落ち葉」である。仕事人間だったのが、定年退職後に趣味もなく友もなく、払っても払っても付いてくる濡れ落ち葉のように、配偶者にくっついている人のことだ。

 

濡れ落ち葉 三尺下がって 妻の影を踏まず

濡れ落ち葉 三尺下がって 妻の影を踏まず

 

 

さて、わたしは不規則な仕事をしており、夫の人がすでに布団に入っている時間に帰ることが多い。とりあえず手を洗ってうがいをしてから、「ただいま」を言いに寝室に行き、ベッドの脇に立ち、あるいはベッドに腰掛けて頭などを撫でてみるのだが、夫の人が起きていると布団から手を出して握手めいたことをすることがある。それが、「濡れ落ち葉」という言葉を覚えてからは、その握手がやけにしつこいのである。布団から両手を出して舟幽霊のごとく縋り付いてきたりもする。「べたぁ~」という擬音付きだったりもする。

「濡れ落ち葉ごっこ、やめて」というと、くすくす笑いながら、「だってさ~、面白いんだもん。こういうの、日本語で『言い得て妙』って言うの?」とか言っているのである。有言も無言もなんでもさっさと計画を立ててちゃっちゃと実行してしまう本人は、絶対に「濡れ落ち葉」にならなそうなこともあって、この表現がおかしくてしかたがないようなのだ。

そんな夫の人は、夜、寝ている間に頭の後ろで腕を組んで、ハックルベリー・フィンか未来少年コナンみたいになる。よくなる。しかしこれはやめていただきたい。なぜかというとわれわれは庶民であり、キングサイズのベッドに寝ているのではないので、片方が寝ながら頭の後ろで腕を組めば、その肘がもう片方の頭に当たるんである(コナンじゃなくてラナだけど、こういう体勢↓なわけです)。

 

未来少年コナン 7<最終巻> [DVD]

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しかし、やめていただきたい、といっても夫の人のこれは、眠りながら無意識にやっているので、どうしようもない。ある意味、意識さえ変わればくっつかなくなる「濡れ落ち葉」よりもやっかいなのだ。

レッスン覚え書き

この日はバーレッスンみっちりの先生のクラス。なんと小学生のニューカマーが! 大人向け超初心者クラスだと思っていたのですが、全年齢対象超初心者クラスだったようです。
小学生はさすがに身体が柔らかいのですが、その反面、身体を伸ばしていったあと、どこで止めるのか? という感覚をつかむのに苦労するところもあるよう。帰りにエレベーターが一緒になったので「面白かった?」と聞いたら、満面の笑みで「うん!」と言ってくれたので、ぜひ続けてほしい。
レッスン中はガラス越しに見学されてたお母様によると、「ずっとやりたいと言っていたのがのびのびになっちゃって」とのことでしたが、アラフィフで始めた身には10歳前に始められるのはもう、羨ましいの一言です。

 

 
わたしはといえば、今日は横に脚を出すときの足の位置と、脇腹が伸びてない点を指摘されました。
脇腹についてはほかの先生のクラスでもほとんど必ず指摘されるのですが(片脚バランスで立っているときに後ろから両脇腹の肋骨の間に指をがっつり入れて広げるように指摘される先生、首と頭の付け根とその下の頸椎に同じように指を添えて首を伸ばす指摘をされる先生も)、これはおそらく幼少時の虐待の後遺症も多分にありそう。目黒区の虐待死事件で検死の結果、「胸腺が発達していない。虐待され続けているとここが萎縮してしまう」と言われていたのを読んで、「自分もそれで胸腺を含む胸骨や周辺の肋骨まわりが委縮したまま大人になったのでは」と、思い当たったのです。

 

kaken.nii.ac.jp

 

また、先月、毒親であるところの母の入院で、避けていた接触をしなければならず、これまで読もうと思って読んでいなかった田房永子さんの毒母まんがを四冊、一気読みしたのですが、そのうちの一冊で田房さんの毒母本の嚆矢『母がしんどい』のこのシーンにかなり共感というか、自分のことかと思ったということがありました。

 

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ちなみにわたしは母から以下のようなことなどを言われ続けていて、ずっと自分はみっともないと思ってました。

「背ばっかり大きくなってみっともない(じゃあ横にも大きくなって相撲取りみたいになればよかったのか?)」
「姿勢が悪くてみっともない(背が高いのがみっともないとか言うから猫背になってそんなことに)」
「足のサイズが24.5センチもあって女らしくない。それに合う靴を探すのに付き合わされて大変(今は25センチの靴を履いてます)」
「いつまでも胸がないわね! ブラでもつけたら生えてくるんじゃないの?(サイズの合わないブラを、家族全員が同時に開ける習慣になっているクリスマスプレゼントに入れておき、わたしが困惑した顔をしたことに対して)」

 

田房さんと同じく、そう言われたことが染みついていたので、バレエを習い始めたころ、わたしも鏡で自分を見ることができませんでした。今も苦手ですが、見ないと姿勢のチェックができないのでしかたなく見ています。これはつまり、自分の客観的なイメージと、自分が自覚しているイメージが一致していないから苦手なわけです。それはまあ、しんどいですよね。
それ以来、自分の身体内部で螺旋状に上に向かって伸びていくエネルギーをイメージして、身体を上に引き上げる癖をつけようとしているのですが、やはり一朝一夕にはいきませんね。整体の先生によると、「調子のいい時は肩から上は出来てる」とのこと。なお、わたしが一気読みした四冊はこちらです。

 

母がしんどい

母がしんどい

 
お母さんみたいな母親にはなりたくないのに
 

 

さて、この日はレッスン終わってビルの前の信号が点滅していたので小走りで渡ったのですが、通い始めたころはレッスンが終わると小走りどころか身体中が悲鳴をあげていて、マッサージ屋さんに寄らないと帰れなかったことを思い出し、おお、少しは向上してるなー、と思いながら、渋谷まで戻ってフォーを食べて帰ってきたのでした。

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ラプンツェルと悪阻

小さい頃から「ここではないどこか」に主人公が脱出する話が好きだった。童話や民話はだいたい姫や娘や若者や王子が、どこかからどこかに移動したり脱出したりする話ばかりなので、よく読んだ。その中でも惹かれたのはラプンツェルの話だった。初めて読んだのはこの絵本だった気もする。

 

ながいかみのラプンツェル (世界傑作絵本シリーズ)

ながいかみのラプンツェル (世界傑作絵本シリーズ)

 

 

今にして思えば、閉じ込められて自由がないところとか、悪阻でどうしても食べたい野菜を夫に入手させるラプンツェルの母の横暴さなどに、自分の家庭環境を重ね合わせていたのかもしれない(ラプンツェルの父が登場せず、悪阻の母本人が野菜を入手しにいくバージョンもある)。

 

ラプンツェル―グリム絵本

ラプンツェル―グリム絵本

 

 

が、ラプンツェルの母が悪阻でどうしても、と求めた野菜は、わたしにとってながらく謎だった。小学校低学年で最初に読んだ子ども向けのラプンツェルの絵本には、その野菜は「萵苣(ちしゃ)」と書かれていて、ラプンツェルの父はブリューゲルの絵に出てくる裕福な農夫のような服装で、キャベツ畑のようなところにいた。しかし、夜に盗みに入ったという設定らしく、画面は全体的に暗く、「ちしゃ」なるものがどんなものなのか、よくわからない。

ところで実家にはグリム童話などの日本語訳のいろいろなバージョンがあった。そこで、子どものわたしは別の古いものを開いてみた。旧漢字仮名遣いのものを苦労して読んで、というか子ども向けの絵本と対照させてたどっていくと、「ちしゃ」にあたるところには「蔬菜」とあった。「蔬菜」の「蔬」、読めない。くさかんむり以外の部首の名前もわからなかったから、漢字辞典もあたれない。お手上げであった。

 

ラプンツェル―グリム童話 (おはなしのたからばこ 16)

ラプンツェル―グリム童話 (おはなしのたからばこ 16)

 

 

そしてそれから「ちしゃ」と「蔬菜」のことは、ずいぶん長い間、忘れていた。次に思い出したのは『本当は恐ろしいグリム童話』がブームになった頃。グリム童話の怖さについてはすでに学術的に知っていたのであまり興味は惹かれなかったが、ふいに「ちしゃ」のことを思い出した。そして出回っているラプンツェルの物語を読んでみると、そこには「ちしゃ」ではなく「のぢしゃ」とあった。

「のぢしゃ」。「の」はおそらく「野」であって、きっと「ちしゃ」より原種に近いのだろう。たとえばバラ科の苺と野苺のように。そう思ったが、相変わらずそれらの正体はわからない。そこでなぜか、実は野菜ではなく、ハーブか野草なのかも? と閃いて調べてみたところ、当たらずとも遠からずであった。そして「野萵苣(のぢしゃ)」は「Ra'punze」であり、ラプンツェルRapunzelは「のぢしゃちゃん」というような意味であることも判明。

同時に「ちしゃ」と「のぢしゃ」は近縁種ではないという、意外な事実も判明した。「ちしゃ」はレタスのことであり、レタスはキク科(!)なのだそうだが、「のぢしゃ」は本名マーシュというサラダ野菜でオミナエシ科、江戸時代にヨーロッパから長崎に持ち込まれ栽培されていたのが日本全国に野生化して分布しているのだという。そうだったのか……。なお国立環境研究所ではオミナエシ科だが、スイカズラ科としている情報もあって混乱する。オミナエシ科はスイカズラ科に含まれるとの説も。

 

 

あれ? では、「蔬菜」とはなんだったのだろうか。大人になってからはこれを「そさい」と読むことはわかっていたので、いつもの『日本国語大辞典』を引いてみる。

 

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……「蔬菜」、そんな大雑把な意味だったとは! それなら「ちしゃ」も「のぢしゃ」も含まれるけどさあ。

そして、ラプンツェルの母も、悪阻になってサラダ野菜がどうしても食べたい、となるとは、不思議なものだとも思った。ハーブならまだしも、なぜそんな味の薄いものを? しかし、ふだん味の濃いものを食べていての反動だとしたら、けっこうリアルな悪阻描写だったのかもしれない、ラプンツェル母の「のぢしゃ」渇望。