肉好き&ヴェジタリアン夫婦のなれそめは?
今月は激務、というか今年に入ってから激務で、チベット正月にチベット料理店にも行けてなかったのですが、今日の休みは時間が取れて、チベット人書家と夫の人とチベット料理店タシデレで晩ごはん。二人は英語で話すので、わたしはたぶん話してる内容の1/2〜1/3くらいしか理解できてない。そもそも英語に慣れてないので、食べ始めると聞き取りが疎かになるし。
が、莫高窟で発見されたテルマ(埋蔵経)や壁画の話になるとわかる。特に興味のある内容だからか? そして莫高窟のお宝が、死海文書みたいに偶然発見された話は、とても面白かった!莫高窟の壁画や仏像については、ぜひ「dunhuang caves silk road」でグーグル画像検索などしてみてください。
しかし、その話の発端になった、「なぜお肉が欠かせない系のチベット人書家がヴェジタリアンと結婚したのか? 奥さんは最初からヴェジタリアンだったのか?」などは謎のまま。ゴールデンウィーク中にお宅訪問するので、そのときに聞いてみたい。なお、なれそめから莫高窟の話の流れはこういう感じでした。
・お肉必須のチベット人書家がなぜヴェジタリアンの妻と結婚したの?
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・莫高窟から発見されたお経を解読して復刻するプロジェクトで、ぼくが筆写する仕事をしていて、のちの妻(たぶんカナダ人)がそれを英訳する仕事をしていたんだよ。
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・で、その莫高窟でお経や壁画が発見された経緯が面白くてね、旅の商人が莫高窟の洞穴の一つで休んで煙草を吸ってて、吸い殻を壁の穴に押し付けたらそのまま中に落ちて行っちゃったんだ。そこを掘ったらお経が出てきた。
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・そこから英米仏日中の図書館や研究機関による大々的なお経の解読作業が始まったんだけど、なにせ古いから書体が現代チベット語と違う(たとえばフランス語のアクサン・テギュのところがアクサン・グラーヴになっているような感じみたい)。そんなわけで現代のお経やテキストと突き合わせて4年がかりのプロジェクトになったんだ。
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ちなみに莫高窟は敦煌にあるわけですが、敦煌をdunhuangと読むのを今回、この話で初めて知りました。夫の人は「じゃあ君は現代チベット文化の生き字引なんじゃんか!」といたく感激していました。チベット人書家の彼については↓こちらを。
今年もチベットピースマーチを行いました
いつも渋谷や六本木、新宿だったのですが(ピースマーチ前に抗議の声を届ける中国大使館が麻布税務署近くなのもあり)、今年は三月九日に浅草で行いました。雷門前を通るコースでした。
We want justice ! We want Human Rights ! #TibetanUprisingDay #FreeTibet pic.twitter.com/1HOxOOQBZE
— SFTJapan (@SFTJapan) March 10, 2019
まずはピースマーチ前の中国大使館前抗議の様子から。
https://twitter.com/SFTJapan/status/1104564760392040449
We start demonstration in front of China embassy. 東京・西麻布の中国大使館前でチベット弾圧に抗議するアピールをしています。 pic.twitter.com/hWMdHtSQu3
— SFTJapan (@SFTJapan) March 10, 2019
本日も大使館から車が出入りしています。160人を超える焼身抗議者の肖像が、中国大使館勤務者の出入りを見つめます。 pic.twitter.com/c8hVXzVQ0N
— SFTJapan (@SFTJapan) March 10, 2019
今回のピースマーチでは、チベットのために焼身抗議をされた方々の一覧もTibetanYouthCongressのデータを元に作りました。#freetibet #Tibet pic.twitter.com/EkLld8cvt4
— SFTJapan (@SFTJapan) March 9, 2019
大使館前抗議が終わりました。抗議文を投函した直後にも車輌の出庫がありました。 pic.twitter.com/aYZUMN6wPR
— SFTJapan (@SFTJapan) March 10, 2019
SFT Japan protest against oppression in 60 years in Tibet. We request Tibetan freedom to Chinese Embassy in Tokyo this morning. pic.twitter.com/izxoRIL5kt
— SFTJapan (@SFTJapan) March 10, 2019
浅草なので、海外からとおぼしき観光客の方々が写真や動画を撮っていました。ぜひ拡散していただきたい!
浅草にてピースマーチを行いました。みなさま、ご参加ありがとうございました。#freetibet #Tibet pic.twitter.com/iCSZ2SBF6R
— SFTJapan (@SFTJapan) March 10, 2019
NHKの取材により、BS1の国際報道2019で五分ほど流れた「“動乱”60年 日本で暮らすチベットの人たちの思い」が動画で見られます。
NHKはほかにもチベットの宗教都市、ラルン・ガルがいまどうなっているのかも取材されています。四月五日まで、以下のサイトで課金すれば見られます。
「この番組についてのご注意
許諾が得られなかったため、一部映像を編集して配信します。」
が気になりますが……。
なお、今回のチベット民族蜂起60年について、くわしくは以下のリンク先をお読みください。
本日のマーチ集会で紹介した「チベット民族平和蜂起60周年記念日におけるロブサン・センゲ主席大臣の声明」の全文はこちらから。 https://t.co/b5qibS0mLg
— SFTJapan (@SFTJapan) March 10, 2019
さいきん見た映画
三月は忙しさのあまり、読書は進まないしバレエのレッスンは二回しか行けなかったしブログも更新してませんでしたが、映画はときどき見てました。
『翔んで埼玉』
《茶番劇アワード》エントリーNo.4 そこらへんの草でも食わせておけ編 (映画『翔んで埼玉』大ヒット上映中!)
二回見ました。
一回目は公開された週の土曜、もともとマンガやアニメ好きでゆるくつながっている仲間六人で。いやー、映画鑑賞楽しかった! あらすじだけ聞いたら「なにそれ?」になるところを隅々までやり切ってるのが凄い! 澁澤龍彦の「もっと幾何学的精神を! と私はいいたい。明確な線や輪郭で、細部をくっきりと描かなければ幻想にはならないのだということを知ってほしい」を想起しました。
ただ、見た劇場は物販が乏しく、一番欲しかった通行手形がない〜! 箱から出さないとわからないものも見本なしでやる気なし。シラコバト印煎餅ポーチは迷ったけど、売り場のそのやる気のなさに買い控えてしまった。そこらへんの草味ポテトもないし! もう一度夫の人と見に行く劇場に期待!
が、その後そこらへんの草味はごく限られた劇場にしかないことを知り、またそこらへんの草味のある劇場は郊外で、さいきん仕事で長時間かけて郊外に行っていて郊外アレルギー(それこそこの映画の世界……)な夫の人がいやがったので、二回目はおとなしく都心のシネコンに見に行きました。
二回目だといろいろ落ち着いて見られるのでいいですね。しかし鑑賞後、伊勢谷友介とGACKTのあのシーンを夫の人に「おっさん同士じゃん」とばっさり斬られ、「こいつは単に女子なだけでBL民ではないのだな……」と白目に。
なお、新装版の『翔んで埼玉』はもともと持っていますが、今回関連本をいろいろ買いました。これから読みます。いや、仕事が落ち着いたら読みます……。
『ヴィクトリア女王 最期の秘密』
ヴィクトリア女王が愛した離宮など本物にこだわったロケ/映画『ヴィクトリア女王 最期の秘密』特別映像
うーん、すっきりしない。インド人が見たらどう感じるだろう? アジア人の立場からは微妙な鑑賞感でした。
『七つの会議』
及川光博 - 七つの会議 (Special Program) (Feb 1, 2019)
野村萬斎の怪物っぷりが堪能できる映画。それを目的に行ったんだけど、てっきり途中で消えちゃうプレッシャーに弱い胃弱社員だと思ってたミッチーが、最後まで一貫して語り部的な役割なのは、ミッチーファンとしてうれしかった。というかミッチーは女装して気弱な先輩OLとして、OL凸凹コンビやってもよかったんでは。
あと野村萬斎に限らず、出てくる人々のアクが強くて、見てる間はサラリーマンBL妄想の出る隙がなかった。
・おまけ
『翔んで埼玉』を見に行ったときに見たこの予告編、もう脳が腐っているので「葵が選んだ恋の結末は?」という最後の言葉に「イケメンBLを応援する」と即答したくなってしまった。
監督、もう実写はやめて……
押井守監督がまた悪あがきを始めました。
最新作はなぜか低予算の実写映画
低予算でもまだ押井守の実写映画に出資する人がいるのか?
人気タレントに頼らず、オーディションで選んだ新人をワークショップで鍛え上げ
なぜ、『紅い眼鏡』『トーキング・ヘッド』などなどの、昔から不発を招きがちなこの小劇場的スタイルを捨てられないのか?
押井たちの新たな挑戦と試行錯誤
新たな挑戦、なの? また繰り返しじゃないの? 監督自身が『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』的状況から抜け出せてないんじゃないの? というか、近年の実写作品『ガルム・ウォーズ [DVD]』に至っては自己劣化コピーになってなかったっけ?
なお、ナレーションは監督の盟友と言ってもいい声優・千葉繁というのを見て、34年来の押井信者の妄想、発生。
繁「マモルちゃ~ん、なんでまた実写なのよ。どうせあんたの信者しか見に来ないでしょーが」
守「いや、アニメで得た知見を実写に移植し」
繁「それで観客動員数、伸びたの?」
守「ぐぬぬ……」
繁「新人をワークショップで鍛えて、とかいって、三流アイドルかなんかなんでしょ? 『ガルム・ウォーズ』の前の『東京無国籍少女』だっけ? あれとどう違うの?」
守「あれはリメイクだったし」
繁「リメイクっていったらあんた、しょっちゅう自分の作品、リメイクしてるようなもんじゃないの」
守「そんなことはない。『ガルム・ウォーズ』だって過去、頓挫した計画をようやく実現させたんだし」
繁「その割には鳴かず飛ばずだったような気がするケド?」
守「し、神話的なSFっていう題材が早すぎたんだよ」
繁「ふーん、その割にはクライマックスのアレ、聖書原理主義者や正統派ユダヤ教徒が見たら眉を顰めそうな雑な借り物っぷりだったケド? 女の子も『アヴァロン』からでしょ? あっちは北欧神話なのに、混ぜたら危険じゃない?」
守「……」
繁「あ、もしかしてNetflixの実写版『人狼』がけっこう評判よかったから嫉妬しちゃった? でもねぇ、あれは原作と違って南北統一の明るい未来って基調に変えたからこそだと思うけど、マモルちゃんそういう明るいハナシ、撮れるの?」
守「うるせえ! オトナでも失敗するし、失敗してもいいって番組見た若いやつが思えばそれでいいんだよ!」
繁「あ、や~っぱ失敗してるって自覚は、あるんだ?」
ちゅど~ん!
繁「(黒焦げになりながら)図星、か」
筋肉と生理痛
ほぼ一か月ぶりの更新ですが、わたしは元気です。今日は元気だったけどなんか納得いかない話について。話題が話題なのでお口直しに都度都度、関係なくおやつの写真を入れるよ。
先日、十二年ぶりくらいに子宮がん検診に行った。干支一回り。ほんとはもう少し狭い間隔で行くべきなのだろうけど、行く気にならない理由がある。
というのもわたしは若い頃は生理痛がかなり重く、道端で痛みのあまり吐いて倒れて救急車に乗ったこともあったのだが、その時も、また別の時も、子宮がん検診では異常なし、と言われてしまっていたのだ。
異常なし、ということはつまり、打つ手なし、ということでもある。そんなことが三回も続くと、検診代もばかにならないし、行く気を失ってしまう。
なお、十二年前の子宮がん検診もやはり異常なしであり、「きれいで健康な子宮です!」と言う医師に、「なら、この生理痛はなんなのでしょう」となかばキレ気味に質問したところ、「それは、……血の巡りの問題とか、その、……西洋医学では痛み止め以外ではいかんともしがたい領域で」と言われてしまったのである。やはり、打つ手なし。
だが、その頃から一回八時間ゾンビコースの激痛コースが、一回三〜五時間の死んではいないが痛いコースになり、そして痛み止めは必須とはいえ徐々に軽くなっていったのもあり、また子宮がん検診に行かないままの日々が過ぎた。
それが今回、行こうと思ったのは、去年の乳がん手術入院と、会社の補助がけっこう出ると知ったから。上の女性機能にがんが見つかったなら、下もあるかもしれないじゃない? ということである。特に乳がんは三十代のうちから石灰化からの疑いで検診を受け続けてきての発見だっただけに、子宮がんも検診を受けていなかった干支一回りのあいだに発生しているかも? という疑念が頭を擡げてきたのである。
だが、やはりというかなんというか、子宮がんは発生していなかった。なお、乳がん手術入院時に調べたので、エイズ梅毒その他の性病のたぐいで生理痛が起こっているということもない。
ただ、子宮がんではないが、軽く子宮内膜症になりかけていることが、今回の検診ではいつもと違う結果であった。子宮内膜症というのは、生理後に次の妊娠で受精卵が着床する準備として、子宮の内側に生成されるはずの壁=内膜が、エラーで子宮外に生成されることである。
医師の話では、なりかけなので、平均年齢でいえば、わたしはあと五年くらいで閉経するので、それまで子宮外に生成される内膜が著しく成長しないように半年か一年に一回くらい、検診を受けましょうね、ということだった。
そしてまた医師は言った。
「子宮内膜症になると生理時の出血量が増えたり、生理痛がひどくなったりしますが、そういう時はご相談を」
はい? パードゥン?
子宮内膜症で生理痛がひどくなることがあるのなら、十二年前までの子宮内膜症が見られなかった時期までは生理痛がひどく、子宮内膜症が見られるこの頃のほうが生理痛が軽いのはいったいなぜなのか? なかなか聞く機会もないし、これを聞いてみたところ、驚きの答えが返ってきた。
「生理というのは子宮内にできた内膜か自然に剥がれ落ちるだけでなく、押し出すものなんですね。なので、若いほうがその押し出す力が強くて生理痛がひどいという方はいらっしゃいます」
なん……だと……!
つまり、最近の生理痛の低減は、加齢による筋肉の弛緩によるものだということなのだろうか。なにか、納得がいかない。
友情は何かとのバーター取引なのか?
すでにいろんなところで話題になっているこのブログエントリ。わたしもどちらかというとここで論われている「友人」に近いという自覚があるからか、読んでみたところ、嫌悪感とびっくり感がありました。
わたしも『「友人に誘われたから=友人が行きたがっているから、自分としてはそこまで興味がなくてもつきあって行動を共にする」ことがあるなんて、想像したこともなかった』側です。だから、こういう押し付けが鬱陶しい。
誘われた時点で「それなんだろう?」と興味を持ったら同行するし、その時点でそれは自分自身の選択で「あたしはあんたの趣味にも結構つきあってあげてるんだけどわかってる?」なんていう資格はないんじゃなかろうかと思うのです。友情や愛情っていうのは「あなたの趣味に結構つきあってあげてる」ことへのバーターで育まれるもんじゃないだろ、とも思うので。
さらにいえば、興味もないのに付き合いだけで来ないでほしいと思うのですよね。だって、映画にしろ展覧会にしろ、それは対象に失礼じゃないのでしょうか。レストランの件で言うなら、ブッフェやってるってだけでわたしにとってはそこは高級店じゃないんだけど、まあそこは置いといて、来ていてつまんなそうにちょっとだけ皿にとった料理を食べずにつつきまわしてるより、皿に山盛りにしてでもしっかり食べてるほうがいいと思うの。
……っていうか、興味もないのに付き合いだけでくるってやつ、昔、ハイキングでやられたことあるわ。現地に着いたら仏頂面で、口を開けば「遠かった」「疲れた」「暑い」「虫!」「帰りたい」。どこに来てると思っているのかと呆れました。なので、ハイキングを終えてJRターミナル駅に戻ってきて、相手がお土産を買い込んで機嫌が直ったところで、用事を思い出したふりをして逃げました。東京までキレずに電車で同乗できるとは思えなかったので。
ストレッチ教室、レッスン覚え書き、そして思い込みについて
◆ストレッチ教室
二回目は60分コース。日本語学科卒のトレーナーさんと、わたしの仕事の話から、書き言葉と話し言葉などについて話しながらキツさを紛らわせる。
文学は芸術作品だけど、新聞記事や雑誌記事は工業製品、たまにどちらにもどっちともいえないものがあったり。とか、LINEの会話は書き言葉かというと、スタンプで表情を補完していると思うので、あれは話し言葉寄りの書き言葉では? とかそういう話。
そして今回も「いい硬さですね!」と言われてしまいました。ただ、開脚は90度にさえ届かなかったのが、今回のトレーニング後は届いてました。少しずつ開脚できるようになるといいなあ。というか、開脚より骨盤をきちんと立てられるようにしないと開脚もしない、とのこと。床に脚を伸ばして座っている時点で、後ろに傾かないよう腕で支えないときつい状態なので、それはそうだな、と。
◆レッスン覚え書き
今日はなんとか動きについていける状態。ただ、
①素早くシャッセをするときに指先を伸ばしたままが、なぜかできない
②クラスの終わりになると腰に疲労がたまっていて、そこでジャンプするとなると、爪先で床を蹴ってそのまま爪先を伸ばしたまま跳び、着地するというのは腰に激烈に響く、ていうか、今日は無理だった
③音ありのオナラが出てしまった……。恥ずかしいし申し訳ないのはもちろんだけど、丹田ごとおなかと、そして尾骶骨ごとお尻を上げ続けていれば出ないのでは、という後悔も。
さらに足の裏が攣るのはいつもどおりだけど、それ以上にふくらはぎ、アキレス腱が何度も攣りそうになる。昨日、ストレッチ教室で最後に自宅ストレッチを復習していたら、左のふくらはぎが攣ったのから続いているのだろうか。
◆思い込みについて
ところでワタクシ、実は先日のエントリを書くまで『MERU(メルー)』もジミー・チンとエリザベス・チャイ・バサヒリィの共同監督だったことに気付いてませんでした。一昨日のブログにもリンクしたレッドブルのインタビューで気付いたのです。
それを夫の人に言ったら、「え? メルーはジミー・チン単独監督じゃないの?」と言うので、二人で『MERU』のBlu-rayを出してみました。
ババーン!!!
ジミーの名前が先に来ていますが、明らかに共同監督です。夫の人は「チン姓じゃないんだ」と呟いてもいました。
ジミーの登山家としての、そして写真家としての名声に引きずられたとはいえ、「映画界は男社会」「きつい登山ドキュメンタリーなら当然、監督は男性」という思い込みは根深いもので、フェミニストたろう、男女平等論者であろうとしていても、この体たらく。自分が受けてきた環境からの影響を変えることの難しさに、思わぬところで気付きました。