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『サロメ [DVD]』 アイーダ・ゴメス主演/カルロス・サウラ監督

サロメ [DVD]
舞台のほうがもうすぐ来ますが、例によってBunkamuraらしくバカ高いので、映画のほうで。

単純に全幕、記録してあるだけかと思ったら、短めのメイキングが導入にあって、サプライズ。ダンサーだけでなく、衣装デザイナーがデザイン画を見せながら舞台監督に説明するところとか、音楽監督と舞台監督がマックを前に打合せしてるとことかもあるところがいい。

それになんといっても、ダンサーがサロメを踊るのだから、本編ではバレエのようにセリフなし、歌なし、ダンスのみのところを、メイキングでその舞台を作り上げる人々の「貌」が観られるというのはおトクだ。

そして本編。今まで読んだり観たりした「サロメ」にはない、サロメヨハネの関係解釈に、うっとり。そして、バレエ+フラメンコだけじゃなく、ベリーダンススーフィーのエッセンスまでが人物描写と濃密に組み合わされて取り入れられている混交具合にも、うっとり。

うーん、大劇場じゃなければ生で観たいかも。Bunkamuraオーチャードじゃなくコクーン、いやそれより三軒茶屋のシアター・トラムとか、青山円形劇場の一階とか。経済の論理としてありえないってことはわかってるんだけどね。

ところで、アマゾンでのこの『サロメ』カスタマーレビューには、ちょっとだけ違うこき下ろし文が、ベスト10レビュアーの冠を戴く方の名のもとに連続投稿されている(翌日見たら編集されて一個に減ってた)。

本編の約三分の一、本編製作過程のドキュメンタリー。ここのパートだけ音声字幕あり。なんで芸術を見に行ってメイキングを観させられるのか理解不能。残りの三分の二の本編、セリフ皆無で全部音楽と踊り。話の筋が何なのか、どういう話で誰がどう思ってそういう結果になったのか全く分からない。観て楽しむのに観客に努力を強いる上、予習が必要な必要な作品で良いのでしょうか。それでは舞台と一緒ではないか。結局なんで映画化したのか良く分からん作品。

「残りの三分の二の本編、セリフ皆無で全部音楽と踊り。話の筋が何なのか、どういう話で誰がどう思ってそういう結果になったのか全く分からない。」

元バレエ・ダンサーの世界的フラメンコ・ダンサーがサロメを踊るに当たって、ダンスという公演形式を考えたら、「本編、セリフ皆無で全部音楽と踊り」なのは当り前なのでは? この方は初見でクラシックのバレエ作品、たとえば『ジゼル』などを観ても「話の筋が何なのか、どういう話で誰がどう思ってそういう結果になったのか全く分からない。」という残念な結果に終わると思われ。

「観て楽しむのに観客に努力を強いる上、予習が必要な必要な作品で良いのでしょうか。」

サロメ」という主題のものを観ようと思うなら、同じ主題でさんざん作られてきた過去の作品に触れて、表現の違いを自ら楽しむとか、そこまでいかなくとも、オスカー・ワイルドの原作を一度、読んでから観ればよかったのに。

この方がご存じないのかもしれないが、受動的でいるだけでは楽しめない芸術というものも、世の中にはたくさんある。そしておそらく、能動的に芸術を楽しむ能力のひとつは、かつて「教養」と呼ばれていたものだろう。

ちなみにわたしはケン・ラッセルの『サロメ』が大好き。いつか、七つのベールの踊りのあのシーンを、ボカシなしで観てみたいと思っている。なんでも、一説にはそのときだけオトコノコの吹替えだとか! なんともオスカー・ワイルド×ケン・ラッセルものらしい噂だ。