読んだり食べたり書き付けたり

霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

残業×残業×小龍包

◆こんな時間じゃなきゃワインが合うサラダ

ようよう校了。約1,000ページ。ほとんど同時、丑三つ時に帰った連れと、たこやき、ゴルゴンゾーラで合えたさつまいもとりんごのサラダ、桃の杏仁豆腐という和洋中な夜食をとった。

とりあえず、寝ます。今は、朝の5時をすぎるとこ。


◆誰でもそうなのか年代的なものなのか
普通の恋
それとも朝になってから寝て朝のうちにまた起きて、たまりまくったランジェリーをさっと洗いモードやホーム・クリーニングモードで洗い続けているせいか、『普通の恋/フロイドと夜桜』の歌詞がやけに切ない。曲は安っぽく作ってあるのに/作ってあるからか(安っぽいというのとそのように作ってあるってのは別物ね、ちなみに)。

だれでもこんなような知り合いが「普通に」聞いてて思い出されそうだけど、それで切なくなって5回も6回もリピートするかどうかは、個人的な問題なのか世代的な問題なのか。二度寝してから考えるか、寝てるうちに忘れよう。


◆小龍包と周恩来

ひさびさに食べたなあ。百合のつぼみの炒め物や、海老の龍井茶炒め、蓮の葉包みごはんと、香り高いお皿の数々を、O型4人で一心不乱に食べた夜でした。

百合のつぼみは金芯菜だか金針菜とか書いてあって、ようやく名前の正体を知った食材。さやいんげんのような、アスパラのような歯ざわりで、しかして香りは花であるという不思議な味。龍井茶炒めは茶葉から香りといっしょにプーアールのような色が出て、やっぱりごはんにかけて食べたい、と思った。

デザートの杏仁豆腐の手作りっぽい素朴なさっぱり感も変わらずなこのお店は、東京留学中の周恩来ゆかりのお店。


◆メモ

わたしのような宗教への考え方は戦後(とくに朝鮮・ベトナム戦争)以降生まれのアジア人、それもとくに共産圏の人間に多い捉え方なのではないかと思います。日本は共産圏の国家ではないといわれるかもしれませんが、昨今のアメリカによるグローバライゼーションという名のアメリカナイゼーションによる構造改革がはじまる前までは、日本はおそらく世界でもっとも共産体制的に運営されていた国家だとわたしは思っています。

もともと、共産主義は社会科学上、どのように社会が発達した上で起こるか、とマルクスエンゲルスが推論したかといえば、資本化が進んで富の分配が適切になされる社会構造が発達する(社会保険や福祉の充実)ということだったのであって、貴族と農奴に二分されてるような国で十分な資本化が起こらないからといって、革命によって共産国家を作っても、理論上、それはうまく行くわけはなかったのです(そういう意味ではマルクスエンゲルスの理論による共産主義と資本主義の関係は、イエス・キリストの思想とユダヤ教の関係に似ていますね。両者ともたいへんに誤読され易いという点でも。ちなみにわたしがマルクスエンゲルスマルクスとだけ書かないのは、グルーチョ・マルクスと誤読されたら困るという思いがあるというわけではとくにありません)。

その点、日本は戦後の高度成長の結果、資本化が十分にしかも急速になされたため、共産主義というテキストを参照する間もなく、自前で共産体制的国家を作り上げてしまったわけです。高度成長期の都市への集団就職にはじまり、大卒で就職する人びとが同じフォーマットにしたがって就職活動を行い、ほとんどどんな会社に就職しても、業種・業界がちがうのに初任給は横並びという世界が共産体制的ではない、なんてことは、わたしにはとても思えないし言えもしません。

もっとも、誤解しないでいただきたいのは、わたしはそうした日本的共産体制を非難しているんではなく、むしろ好んでいるということです。男尊女卑的な部分が解消されていけば(社会構造上、ここは明らかに史上最大の共産主義国家・中国に負けてますね)、これほど最適に社会化された国家というものもまずあるまい、と思っていたので。

まあ、それも80年代のロン・ヤスからはじまる日本のアメリカナイゼーションの流れで、もうお終いを迎えつつあるわけですけれども。

えーと、なんの話だっけ? ああ、思い出した。道教にシンパシーを感じていらっしゃるんでしたね。わたしは、うーん、道教の文化はエキゾチズムの点からは興味深いとは思いますが、神仙思想という人間を超越するものを信仰対象とするという点では、イスラム教・ユダヤ教キリスト教などと同じカテゴリとしてとらえざるを得ないですね。

ちなみにイスラム教・ユダヤ教キリスト教も宗教の体系としてはシンパシーを持てませんが、それによる文化にはどれも興味があります。どれも、それぞれの民族・社会にとっての合理性を持っているという点で、信仰するのではなく学ぶことでそれぞれの一致点を妄想することができますし。