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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

あるいは、サイボーグは電脳に多数ある隠しドライブのうち、一個ぐらいは失念し得るか?

これが、はじめて『イノセンス』を観たときのわたしの感想。と、言ってもなんのことかわかりませんよね。

イノセンス』を最初に見終わったとき、わたしは雪山遭難に関する、幽霊も妖怪も出てこないとある怪談を思い出していました。それはこんなお話です。

ふたりの青年が雪山登山中、遭難しました。いろいろな不運が重なって、片方は死んでしまいます。「おれを置いて身軽になって下山して、お前だけでも助かってくれ」と言い残して。

残された片割れは友の遺言どおり、雪の中に友を埋め山のふもとを目指します。しかし、夜になり、雪中でビバークし、翌朝目覚めた彼は、自分の寝袋の隣に、置いてきたはずの友を発見します。

この出来事はもう一度起こり、彼は夜中になにが起こっているのか確かめるため、ビデオをタイマーでセットします。翌朝、寝袋の横には友の死体。そしてビデオには、寝袋からむっくりと起き上がって、かなりの時間が経ってから、死体を担いでもどる自分の姿が映っていたのでした。

さて、『イノセンス』では人間の領域を超え出てしまった女性と、人間の範囲にとどまる男性が、前作『攻殻機動隊』から3年の月日を経て再会します。しかし、この再会が、男性の無意識により演出された妄想である可能性もあるよなあ、と、わたしはくだんの雪山遭難の怪談を思い出していたのです。

なにせ、人間の範囲にとどまっているとはいえ、男性は脳も身体もほとんどすべてが作り物のサイボーグ。ことに脳は諜報戦のプロ仕様に電脳化されていて、そこにハッキングすることができるのは、くだんの女性のほかにはほんの数えるほどしかいない、という設定。

だとすれば。

わたしたちがパソコンを使う際、ドライブ領域を分けたり、隠しドライブを作るように電脳を使い、あたかもくだんの女性が助けに駆けつけたかのように、自分の能力の出力を上げることも、不可能ではないはず。

そしてもうひとつ。凄腕ハッカーが他人を陥らせた擬似信号を、ウィルス除けの防壁をかいくぐって書き換えるほどの能力がある彼女が、その能力の一部分だけを、容量の少ない愛玩用ロボットにダウンロードして戦うなどというムダな動きをするだろうか? 「いま、しあわせか?」と訊かれて「懐かしい価値観ね」というほどに、人間を超越した存在である彼女が?

つまり、彼と彼女の再会は、彼自身が自分に発した疑似信号で作り出された虚構だったのでは?

こんなふうに思うのは、監督自身が「人形製造のシーン最後で、その瞳に映っているものが、この映画の構造を表している」と言っていた部分を再度、アイマックスシアターの大画面で確認したから。そこに「映っているもの」には解釈が二つはあると思うけど… 「え、そんな現実的な…」というか「身も蓋もない…」という気持ちになったせいで、今日の日記のような疑問が再燃したというわけ。

まあ、そんなふうに、人形とちがって、人間は相手を思うあまりに自分を騙すことまでするというのが、その特性なのではという、そんな誤読を招くくらいに、『イノセンス』は切ない映画なのです。