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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

舞台のスピラ・ミラビリス

昔、ある劇団のオリジナル作品の感想を友だちに話していたら、演劇にあまり縁のないその友だちに、「それ、映画以外じゃできなさそう」、と言われたことがあった。その彼の言葉の裏からは、『映画みたいな映像の特殊効果とかのない演劇という形式が、そんなマジカルな物語を語り得るはずがない』、という懐疑が透けて見えていた。

この懐疑は、『きみがその劇団あるいは特定の俳優に入れ込んでるから、安ペテンにかかるみたいに、生の舞台じゃ有り得ない物語を自分のなかで補完して成立させてるだけじゃないの?』という疑問も含んでいたと思う。

しかし、演劇には「有り得ないはずの物語」を成立させてしまう力がある。ただ、それは、脚本、演出、そしてそれを十全に体現し、かつ、口振りや所作で劇場の空気を動かし、コントロールすることで+αを表現できる役者という要素が、三つ巴に、あるいは木の周りをぐるぐる廻る虎のように拮抗しあっての運動がおこらなければ実現しない。そして、これを実現する三つ目の要素、役者の引き起こす動体力学的効果こそ、TVや映画が語り得ぬものを、舞台上に引き起こす力なのだ。

昨日の『エレファント・バニッシュ』はしかし、三つ巴どころか、脚本も演出も演技も舞台装置も音響も、すべてが絡み合いつつ対立し、対立しながら認め合いして、その結果、ステージに驚異の螺旋運動が立ち表れていた稀有の時空間だった。いわば、そこには「純演劇」が存在したのだ。

その意味ではこの作品は、村上春樹ファンや吹越満ファン、高泉淳子ファンよりも、演劇が少し苦手なひと(わざとらしい、とか同じ観るなら映画を2本、というひと)に観て欲しい作品。もちろん、演劇好きなら文句なく、舞台の力を満喫できます。