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『Show The BLACK』

かねてからの望みどおり、連休の最終日、大川興業本公演『Show The BLACK』を見に行った。下北のスズナリで、1時間半のあいだ、舞台も客席も真っ暗なまま、休憩ナシの演劇。出演者は明かされず、声と体を使った音と気配で進行する舞台。

地上波TVの情報のみから大川興業を考えると、江頭2:50とかハウス加賀屋とかのお笑いオンリー集団だと思われがちだが、彼等が本公演で行う演劇は、実はかなりレベルが高い。

彼等の演劇のモチーフはつねに、リアルタイムの社会不安であることが多い。そこに、時事ネタのお笑いをまぶして、巧妙に舞台へと観客を取り込んで行く手腕のなめらかさは、大川前総裁の外見のように、インテリヤクザのような優雅ささえ感じる。

しかし、いつもモチーフが同じということは、マンネリもありうるということだ。実はわたしは、『自由自』というだいぶ以前の彼等の公演の際に、「前回はうっすらだったけど、今回はもっと楽しめなくなっちゃったな」と感じて以降、彼等の演劇を見に足を運ぶことはなくなっていた。

今回、ひさびさに本公演を見に行ったのは、スカパーの演劇チャンネルかなにかで、わたしが見に行かなくなってからの彼等の公演を目にしたことと、今回の舞台が再演だと知ったことによる。

スカパーでなにげなく見たその公演では、犯罪被害者の遺族と、犯罪加害者の家族の、息詰る関係が描かれていた。その、TVのモニターごしでさえ伝わってくる緊迫感に、「これは、またおもしろい舞台になってきてるのかもしれない」と、胸が躍った。そこへ、舞台も客席も真っ暗なまま進行するという異色の演劇、それも再演と聞いて、行ってみることにしたのだ。

で、見に行った結果。脚本は、小集団内の不安心理と連帯という男の世界&わりとオチが見えるものだったけど、演出というか、ストーリーの結果より過程がかなり楽しめた。

それは、ほんの数人の、お互いの顔が見えない、喋れないメンバーもありの小さな社会集団で起こる対立、不安、疑心暗鬼、団結が、舞台と客席が暗闇をシェアすることで鮮やかに浮かび上がる仕組みだ。久しぶりだ、という新鮮さとはまったく関係なく、こういうことをやってしまう、やらせてしまう大川豊という漢に、あらためて震撼させられる。

ただ、劇場内全部を真っ暗にしないと舞台と客席が分離しきってしまう、この構造がイイのか悪いのか、つまり、実は脚本の不足を真っ暗で補わないと成立しないのでは、という疑念に関しては、わたしの中で答えが出ていない。

はたして、この不可視という舞台の設定は、この脚本において、ほんとうに代替不可能なものなのだろうか。そういったことも含め、終わってからもいろいろと考えさせられている。