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『真珠の耳飾りの少女』

いかにも湿気の多そうな空気感が漂う映像が、運河の街、フランドル絵画の世界に一気に引き込んでくれる。しかし、描かれるのは単なる近世コスチュームプレイではない。ここではひとりの少女を通して、他者の視線を欲望として捉えるシナプスの、自分の肌・粘膜・血に触れる他者の体温を性的に意識するシナプスの、そしてそれらが性的欲望に結びつく瞬間の発生が描かれるのだ。

これらの自発的な欲望装置としてのシナプスは、本来ならば、この映画で描かれる時代の、カトリックの少女には備わっていてはいけないはずのもの。それだけに、妻子持ちの主人との間でこれらのシナプスが拓かれていく過程は、よけいに禁断の匂いを帯びる。

ちなみに、映画を観ている間は、こんな現代思想めいた小難しいことを思っていたわけではなく、はじめて他者に正面から両手で、肋骨の数を脇腹越しに確認されるかのように触れられた感覚が、ふいに戻ってくるエロティックな瞬間の繰り返しに没入。どっちかといえば、シナプスを拓かれてる側の少女に嫉妬して、醜く泣き喚くフェルメールの妻に近い年齢なのにね!

ところで、1609年に休戦条約が結ばれたものの、そう簡単には解消されない民衆レベルでのオランダのプロテスタントカトリックの対立について、冒頭、そして本編で2-3度、ちらっと触れられるのだけど、キリスト教圏の人間でも、現代人ならばこれに関してはもう少し説明されなければなんのことやらわからないと思う。せめてもう少し日常生活レベルでのプロテスタント(使用人:ヒロイン)側とカトリック(主人:フェルメール)側の違和感とか確執を表すエピソードが欲しい。それでこそ、主人と使用人というだけではない、お互いの神に内心で背いてしまう情動という、この映画のエロスが際立つはず。

ちなみに1609年に休戦条約が結ばれたオランダ独立戦争は、1568年にプロテスタントカルヴァン主義が優勢な北部ネーデルラントが、スペインのカトリック支配から独立せんとしてはじまったもの。休戦条約により、ネーデルラントは、カトリック色の強い南部・フランドル地方と、プロテスタントが優勢な北部・オランダとに分裂、フランドル地方では宗教改革への対抗から、カトリック教会が芸術の有力な庇護者となった。これに対し北部オランダでは、上層市民階級の富を背景に文化が成熟(言わずもがなですけど『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神ISBN:4003420934)』が検証した対象のひとつね)、フェルメールレンブラントらを生み出す。