デリダというと
思うのは『グラマトロジーについて』。これを読んでいた3年前・晩秋の日記から抜き書き。なぜなら、いまでも一字一句そう思ってるから。
「…恋愛は言葉にほとんど満足せず、それを軽蔑する。恋愛にはもっと生き生きとした表現方法があるのだ。あれほどの喜びをもって自分の恋人の影をなぞった女性は、なんと多くのことを彼に語っていたことだろう。この棒の動きを表現するためには、彼女はどんな音を使えばよかったというのだろうか。」
ひじょうな喜びをもってなぞるこの棒の動きは、身体の外には出てゆかない。話された、あるいは書かれた記号と異なって、それはなぞっている者の欲望している身体から、あるいは他者の直接的に知覚されたイマージュから、切り離されない。これ、『根源の彼方に グラマトロジーについて』下巻のp.179にある箇所なんですが。なんつうか、エロいなーと思うのはわたしだけでしょうか。「」内は、棒はデッサン用のもの(チョークとかパステルとかの謂か?)ってことになってるルソーの著作で、それにデリダが注釈つけてんだけど、なにせフランス人の言うことだからな。
と、いうことを電話口でテキスト読み上げつつ彼に訴えたら、「んなこと考えてんのキミだけ」って嘲笑されました。そ、そうかなー、わたし授業中、「絶対こう思ってんのってわたしだけじゃないはず」って考えてて居心地悪かったんだけど。