『ロスト・イン・トランスレーション』
見終わって出た映画館の外が、近未来SF映画を見たあとみたいに、違って見える。この映画を見て、東京にまた恋をしたのか、東京でまた新たな恋をしたい気分になったのか、と考えていたけれど、答えはなかなか出ない。
そもそも、わたしがはじめて東京に恋をしたのはいつだったろう。
文京区の丘の中腹の二階家の瓦屋根の上で、首都高速が生きてるなにかみたいに音を発しているのを聞きながら、さらにその向こうの新宿あたりの夜景を眺めていたころか。
それとも、長じてその夜景を生成しているネオンのただなかで、夜の街の美しさに浸ることを覚えたころだろうか。
どちらにしても、そしてどちらでもないにしても、東京の街の強い印象はいつでも、恋とワンセットになっている気がする。
だから、東京という街に恋をするということは、ネオンやドラマチックなビル風や街ならではの夜明けや朝焼けの風景にだけじゃなく、東京の街での恋愛可能性も含まれているんだろう。
そうか、だから最初の疑問に自分では答えが出せないんだな。それは、ふたつでひとつなんだから。
そして、わたしがこの映画でまた東京に恋してしまったのは、とくに夜遊びのシーンが、わたしの好きな東京のそれを知っているみたいに、なんだか初恋の相手と遊んだころを思い出す郷愁のような感情さえ思い起こさせるみたいに、とっても親密に撮られていたからだ。
自発的じゃなく、ワクチンを打たれたようなものだから、けっこう、この恋は今回、しぶといかもしれない。
それにしても。ソフィア・コッポラにはっぴぃえんどを聴かせた誰かに、遠くから感謝を送りたくなった。これも、恋の多幸感ゆえか。