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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

『Nathalie... 恍惚』

ひさびさに、近来稀に見る底意地の悪い映画を見た。エマニュエル・ベアールが愛の行為を「語る」、というのに惹かれて見に行ったのだが、この映画、ベアール主演とあちこちで喧伝されているけれど、彼女のファンにとっては、とても居心地の悪い映画だと思う。
むしろ、この映画の本当の主役はファニー・アルダンだろう。熟女の国で熟女の監督が撮っているせいかと最初は思ったのだが、アルダンは実に綺麗に映っている。
対するベアールは、彼女の出演作でこれまでこんなのなかっただろう、というくらい、貧相にも見える肌で顔を晒している。独立営業の婦人科医と、エステティシャンを本業にしたいのに、ピンサロで働いている娼婦という役柄への撮る側の解釈が、画面にこうした意地悪な仕上がりをもたらしているとしか思えない。
若々しく美しいベアールが、こうして役柄上貶められた姿が、手入れの行き届いたブルジョワ有職女性としてのアルダンと容赦なく並べ立てられ続けた結果、アルダン演ずる婦人科医が、ピンサロ嬢のベアールを「許す」場面が訪れる。これが、チラシにも書かれていた「衝撃の結末」「どんでん返し」に当たるのだろう。
しかし、実際にはこの「結末」への伏線はそれまで小出しにいくつか貼られている。「衝撃」というならば、画面に漂う「わたしはあなたみたいに若くはないけど、ステイタスある職についていて余裕もあるし、馬鹿で浅はかなピンサロ嬢のあなたを許してあげられるわ」、と言わんばかりの意地悪さのほうだろう。
この場面の毒気に触れると、「あなた、夫の好みのタイプだわ」、とピンサロ嬢に近づいたそれさえ、実はまったくの虚構で、計画がうまく行かず、ピンサロ嬢が偽りの計画遂行状況を述べ立てること、そしてそうさせることで、婦人科医が社会的強者として社会的弱者を密かにいたぶるための、底意地の悪い計画だったのでは、とさえ勘繰ってしまう。
さて、この映画、わたしがアルダンに近い年齢だったら楽しめたのだろうか? いや、そのほうが近親憎悪でもっとずっと、底意地の悪さがひたひたと身に沁みるんじゃないだろうか。フランスに暮らすひとなら、彼の社会でのクラス意識や職業観の実感から、わたしが見たよりも複雑な底意地の悪さの渦に巻かれそうだ。じゃあ、自分が男性なら? とかいろいろ考えるも、この映画の意地悪熱視線から逃れられる観客はいないんじゃないかな。
そんなわけで、自分より若い女に嫉妬する熟女の底意地の悪さを見せ付けられたい方は、Bunkamuraル・シネマへ、ぜひ。

映画公式サイト>
http://www.wisepolicy.com/nathalie/