[読闘]ソロモンの指輪としての知
こないだ「現代のクリエイティブはいずれなにかのコピーかサンプリング」などと日記にメモしたけど、じゃあコンテンポラリーじゃないクリエイティブであるところの大衆文学、それも個人じゃなく大衆社会そのものを描いてるあたりを現代で扱うには、というか、それらを媒介にモテるにはどうしたらいいのか、ということを考えていた。
以前、拙日記のコメント欄でもりぞーさんが「熱心な『NANA』のファンだと言う派遣社員のきっころに、「君もゾラなんて読むのかい?」とからんで、逆にオヤジオヤジとやっつけられてしまいました。」とコメントされていたが、いまどきプルーストだのマルタン・デュ・ガールだののクラシックな文芸作品でモテるには、『黄色い本』での高野文子的な技か、×人口動態論とか×近代都市論、×衣装変遷史なんかの鹿島茂的方法論でもないと、「知性ある大人の男を気取」るのもむずかしいかもしれない。
で、鹿島茂。女性誌連載時に『ナナ』もあったような気がしてたけど、やっぱり。しかし「『恋と贅沢と資本主義』の女神」だなんてまるでスパンクハッピー。鹿島せんせい、イカす!
第1講 健気を装う女―『マノン・レスコー』
第2講 脳髄のマゾヒズム―『カルメン』
第3講 「小娘」が化ける瞬間―『フレデリックとベルヌレット』
第4講 自らに恋を禁じたプロフェッショナル―『従妹ベッド』
第5講 「金銭を介した恋愛」のルール―『椿姫』
第6講 ファム・ファタルの心理分析―『サランボー』
第7講 悪食のファム・ファタル―『彼方』
第8講 「恋と贅沢と資本主義」の女神―『ナナ』
第9講 「失われた時間」への嫉妬―『スワンの恋』
第10講 ファム・ファタルとは痙攣的、さもなくば存在しない―『ナジャ』
第11講 「神」に代わりうる唯一の救済者―『マダム・エドワルダ』
こちらではプルーストとパリという都市についての一篇発見。早く文庫になってくれ<ケチ!
エッフェル塔あるいはアポリネール
ルーヴルあるいはネルヴァル
シャン=ゼリゼあるいはプルースト
ノートル=ダム大聖堂あるいはユゴー
オペラ座あるいはガストン・ルルー
パレ=ロワイヤルあるいはバルザック
カルチエ・ラタンあるいはミュッセ
ブールヴァール・デ・ジタリアンあるいはデュマ・フィス
レ・アールあるいはゾラ
セーヌ川あるいはアナトール・フランス〔ほか〕
ちなみにわたしの鹿島初体験はたしかこの本だったんだけど、とってもおもしろかったのを覚えてる。
ちょうど読んだ直後くらいに旅行に出て、舞台となってる「デパート」にわくわくして行ってみたら、なんだか紀伊国屋スーパーととうきゅうSCの合体したような感じで、ちょっと拍子抜けはした思い出も込みで(苦笑)
そして洗礼名持ちの身にはこれも気になる〜。わたしの洗礼名はでも、聖母マリアの御名に修飾詞がついてるやつなんだけど、そういう飾りの言葉の種類ごとに、月や日が違ったりはしないよね、とか思ったり。
欧米のカトリック教徒に馴染み深い、守護聖人=マイ・セイント。自分の誕生日の守護聖人はどんな人物か。366日もれなく聖人を配し聖人の伝記と守護分野を記載した、日本版聖人カレンダー。
ところで、さいきんエロふざけなオヤジ方面のお仕事が多い鹿島せんせい。でも、著書訳書含め、この「日本版聖人カレンダー」や『新版 においの歴史―嗅覚と社会的想像力』のような基礎研究を押さえた上でのお仕事をされてきていて、それが「ああ、ほんとーにこのあたりのフランス文学が好きなのねぇ。そして、みんなにもおもしろさをわかって好きになってほしいのねぇ」と思わせる。
いわば、鹿島せんせいは動物ならぬ、人間や社会に関するとらえ方が今とは違う時代のひとたちの言葉を、現代のわたしたちがおもしろく読めるようにするソロモンの指輪(それも自前で苦労して手に入れたやつを!)を貸してくれようとしてるのだ。
だから、時には軽すぎる? と眉を顰めさせかねない軽妙ささえ、「はしゃいじゃってかわいいじゃん、オヤジ!」とほくそ笑ませる、って、これは思うツボにはまっちゃってるかしら?
…だが、しかし。鹿島せんせい、近日発売予定のこのご本はいったい?!
- 作者: 鹿島茂
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2005/05/25
- メディア: 単行本
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