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映画『春の雪』予習本として

読んでいます、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)』。しっかし、「序」で「あは」と笑って本体に入ったら、うろこ落ち過ぎでドライアイになりそう!
そもそもわたしが映画『春の雪』を見ようと思った理由は以下:
映画「春の雪」オリジナル・サウンドトラック

(3)華族に雇われた庭師ならともかく、ええとこのぼんぼんにはとても見えない妻夫木某の「王子と乞食」っぷりを見る。
(2)問題の竹内結子*1の演技力はどうなのか。つまり、聡子に相応しいのか、を見極めたい。なぜかというと、美輪さまがこの映画をベタ褒めする*2一方、横尾忠則は逃げとしか思えないカメラワークのみに終始した映画評を展開*3しているから。
(1)なにより原作における「ねじれ」が一般映画向けにどう解決されたのか、知りたい。

つまり、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)』を読んでいるのは(1)のためなのです。『春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)』を含む、三島の『豊饒四部作』は、何度トライしても登場人物の心情がまっすぐ理解できません。中学生ごろはそれでも、自分の読解力のなさのせいかと思っていたのですが、だんだん、このシリーズには著者自身ももしかしたら無意識な、ねじれ構造があるのではないかと思い始めたのです。
しかし、その「ねじれ」がどのようなものであるのかは、わかりそうになるとはぐらかされはぐらかされして、結局いつも煙に巻かれたまま、もやもやした気分で読了していました。それが、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)』ではもう、小気味いいくらいに解体されていきます。ついでに、(2)の理由までw「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)

この文章の語るところは、「彼はかくしていやな女を屈服させることに成功した」である。

ここでの「彼」とは妻夫木の、「彼女」とは竹内の役柄の登場人物になります。

そんなわけで、『豊饒四部作』で、腑に落ちない気分を感じたことのある方なら、橋本治がはじめてでも、きっと楽しめると思います。文庫だし、ぜひ。

*1:竹内結子問題に関してはこちら参照>http://d.hatena.ne.jp/achaco/20050513#p1

*2:こちらの「Special」欄の「スペシャルコメント」にて>http://www.harunoyuki.jp/

*3:2005年10月27日の朝日新聞