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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

曾祖母の桐箪笥

さて、母方の祖父の頑固で癇癪持ちな性格は、彼の母、つまりわたしの母方の曾祖母から来ている。彼女は祖父の100倍くらい頑固で癇癪持ちであり、つまりは相当に周囲を手こずらせた人物であった。

しかし、そんな彼女も、若い時からそういう性格を存分に発揮していたわけではない。本来のそうした性格の種が、彼女が選び取った人生によって涵養されたのだ。いままでの「むかしきいたはなし」より長くなるが、その経緯を記しておこうと思う。

曾祖母Nは、新潟の生まれで、女子高等師範に通っていた際、東京より芸大を出たてで赴任した音楽教師・Tと恋に落ちた。Nは、商業家であったその家の戦略のための結婚が決められていたのだが、なんとその前日に、音楽教師と駆け落ちを決行した。パチパチ。これがなければ、今これを書いているわたしはわたしではない。

さて、その際にNの味方になったのが、彼女の母方の伯母であった。Nの母がそのときどうしていたのか、すでに没していたのか、それともまったく発言権がなかったのか(その可能性は大いにあり得る。Nの父もまた、かなりな専制君主であったようなので)、不明であるが、ともかくNの駆け落ちに関して、積極的に関与したエピソードをわたしは知らない。

ちなみに、Nが出奔して帰らないとわかると、家では誰にも頭を下げたことのないNの父が、まだ女学生であったNの妹・Kに、「福助のように」頭を下げて、Nの替わりに嫁ぐことを頼み込んだ。Kはどのような思いがあったかは知らぬが、最初からの決まりのように、嫁いでいったという。なお、先方としては、Nより若く、しかもNよりも美人であったKが嫁して、よかったのではないか、という意見もあったとか。

さて、Nの伯母であるが、Nが駆け落ち資金として、大店からお嫁に行くお嬢様らしいNの着物が詰まった桐箪笥を、買ってくれ、と頭を下げて頼んだところ、「買うわけには行かない」。がっくりと肩を落としたNに、伯母は言った。

「この箪笥を担保にお金を用立てるから、あんたは死ぬ気で働いて、これを買い戻しなさい」。後年のNを知る人間には想像し難いことだと言うが、Nは三つ指ついて、頭を下げたまま、肩をふるわせて泣いたという。

さて、こうしてNはTと手に手を取って東京に出、そこで、夫のキャリアと伯母の出資金を元手に、輸入洋楽器店を始めることになる。もともと商家の出であり、商家に嫁に出されるために養育されていたNが切り盛りしたせいか、稼業は隆盛をきわめ、あっという間にビルが建った。その過程で、くだんの桐箪笥も無事、充分な利子をつけて買い戻すことが出来た。しかし、この隆盛が、Nの不幸の元でもあった。

というのは、夫のTが、楽器の選別以外には左うちわをいいことに、女遊びをはじめてしまったのである。Tとしても、芸大は出たものの、プロの楽士になるには腕がなく、かといって生徒との駆け落ち事件を起こした教師を雇う学校もなく、稼業では妻が、自分にはとうていできない采配ぶりを見せ、という有様で、事情は推察できるが、同情はできない。なにしろ、惚れたよそに行きっぱなしならば、Nもあきらめもつくものの、Nと子を為し、よそで子を為し、またNと子を為すという体たらくだったのだ。

さらに、NがTとの間の長男Yを、夫・Tのようにしてはなるまいと、ドイツに医学留学に出したところ、なんとYは現地でダンスにはまってしまい、医学は修めず、帰国してダンスの教師になってしまった。Yにはどうやら、母であるNよりも父のTの血が色濃く流れていたようだ。

さて、長男がこのように期待はずれに終わってしまったが、Nはあきらめなかった。そうしてその期待を受けて、東京帝国大学に入り、学者になったのが、貸金庫と色つき版画の逸話を持つ、わたしの母方の祖父である。