読んだり食べたり書き付けたり

霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

『MAGNUM PHOTOS  マグナム・フォト 世界を変える写真家たち』

土曜・日曜と、対照的な二つのドキュメンタリー映画を見た。端的に言えば、 同じ20世紀の歴史的ドキュメンタリー映画でありながら、片方は「映画じゃなくても別によかったんじゃ?」という作品で、もう片方は「映画(映像)ならでは!」と感じられるものだった。


土曜日に見たのは『MAGNUM PHOTOS  マグナム・フォト 世界を変える写真家たち*1』。うーん、これは期待していたようなものではなかったなあ。だってぜんぜん「映画」じゃないんだもん。内容はと言えば、マグナム関係者が写真をめぐる状況について、入れ替わり立ち代わり喋りつづける。


合間に、マグナムに迎え入れられるに当たって「カラーが違う」と何度も却下され、最終的には多数決のぎりぎり一票差で当確したフォトグラファーの撮影風景などが入ったりはするけれど、マグナムの成り立ちだとか、競合も出て来た現在のマグナムの状況について話す人物の顔の大写しが退屈になって、途中、寝てしまったにも関わらず、起きてからもおんなじ構成が続いてる。


なお、賛否両論の末、マグナムに迎え入れられたフォトグラファーとはマーティン・パー



映し出される彼(そしてほかのフォトグラファー)の撮影風景から得られた写真の提示もあまりにも少ないし、彼の作品がなぜそれほどまでにマグナム色に変革を促すもの/そぐわないものとして賛否両論だったのかのヒントとしてもふさわしくない。なにしろ彼が参加する前と後のマグナムの作品だって提示されないのだ。つまりは映画副題の「世界を変える写真家たち」の映画的・画像的説明があまりにも少ない。


これって、場所と時間を限定する「映画」である必要性はあるのだろうか? そして、写真をめぐる状況を語るなら、その状況にあった写真作品をもって提示するべきなのでは? これならば「映画」という形ではなく、作品を例示してインタビューを起こした書籍という形の記録でもよかったのではないかと思う。


これは、もともとマグナムの写真を追いつづけていて、その写真作品をある程度知っている人になら面白い作品なのかもしれない。今まで知られていなかった、新規会員の選挙も行われる年次総会の様子も記録されてるしね。


もうひとつの映画については、こちらで