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デモ、そして日々のFAX送信

22日の土曜日は六本木の三河台公園を午後2時に出発するチベット武力弾圧に対する中国大使館周辺デモに参加。車道の歩道側をデモ行進するのを歩道からデジカメや携帯で撮っている人がたくさんいたけれど、中国公安局員らしき人物もちらほら。なぜわかるかとえいば、土曜日の六本木に遊びに来ている周囲の日本人や在日白人たちと目付きがぜんぜん違うのである。



写真はデモの終着点である笄(こうがい)公園で午後3時ごろ。顔バレすると困る方々もいらっしゃると思うので、後ろからの写真です。ここで午後5時半にキャンドルを灯しての追悼の祈りの集会があるとのお知らせがあり、その時間まで二人の友人とお茶をしながら話をしていた。しかし、テーブルは空白と沈黙が多かった。


というのも非常に残念なことだけれど、もはや祈りのほかにはデモくらいしかできることがない、というのが三人の共通認識だったから。中国べったりの腑抜け官僚だらけの日本はもちろん、インド、中東、ヨーロッパ*1、そしてアメリカも、主に経済的に中国に絡め取られていて、打つ手はもうほとんどない。というか、手打ちによる自国への影響が甚大過ぎなので、どこも手をこまねいている状況なのだろう。


現在のところ、フランスの外相が北京五輪開会式ボイコットを検討すべきと表明し*2、EU欧州議会議長がEU各国は夏の北京五輪ボイコットを検討すべきだとの考えを表明*3した以外は、ドイツの経済協力開発相が「暴動が続く限り5月に予定されている中国との政府間交渉は中止する」との声明を出しているくらいだ*4


そしてもう一つ、デモの終点の公園でのとても残念な情報を書いておく。チベット本土のあるお寺の僧侶約1,000人が根こそぎ、飛行機でどこかへ連れ去られたそうだ。同行の友人から聞いたのだが、そのお寺はチベットのもともとの行政機関として活動しているところで、チベット人民の実際的なよりどころでもあり、また武器は棒しかないけれども、なにごとかあれば人民を守るために訓練された僧兵を擁したお寺でもあるとのこと。


そのようなお寺の僧侶たちを人民から引き離すというのは、もともと丸腰のチベット人民を物心ともにさらに丸裸にするものだ。これはまさに文化的虐殺であり、もっといえば、連れ去られた僧侶たちが実際に虐殺されていないという保障はどこにもない。カチンの森とかいやな事件が否応もなく思い出される。


そうならないようには祈ることしかできないので、5時半にまた公園に行き、「オー・マニ・ペメ・フーム」を10年ぶりくらいに唱えた。わたしのふだんの行いが悪いせいか、点けてもらったキャンドルがプラスチックコップの底にあるにもかかわらず、風ですぐ消えてしまうのに閉口する。これは3回目くらいにコップの上辺を合わせた手で覆うように挟むことで解決。


それにしても、祈ることはほんとに難しい。5時半からの集会の公園に向かう道すがら、「観音さまに祈るけど、マリアさまでもいいから」とわたしの宗教的バックグラウンドを知る友人に言われたが、じつのところここしばらくの祈りはなにか対象があっての祈りではなかった。でもしばらくぶりに「オー・マニ・ペメ・フーム」を唱えて、自由律で祈るより、定型があったほうが祈りに集中しやすいことを実感。観音さまやマリアさまやイエスさまは、定型がないと、祈っていてもいつのまにか考えはじめてしまう思考の拡散を抑制する意味で、わたあめの中心の棒みたいな役割を果たしていると思った。


さて、帰宅してから、デモのほかにできることとして、要請書を日々、FAX送信することに気づいた。そのためのテンプレートと送信先一覧はTSNJ(チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン)*5のトップ「FAXを送ろう!」欄に用意してあるので、デモに参加する体力や時間はないけどチベットの問題には憂慮している、という方も、署名するだけで送ることができます。


なお、TSNJブログの3月19日の記事*6によると、「『チベットでの暴力をやめてください』等のメッセージを含むメールは自動的にゴミ箱に振り分けられ、見ていないということが考えられます。このため、手間はかかりますが、TSNJでは抗議Faxやはがきの方を推進します。」とのこと。


また、22日の笄公園での「チベットへの祈りとキャンドル・ライティング」を晴れている日には継続していきましょうとのこと。


それにしても、デモにはいろんな人が来る。歩行者の邪魔をしないために警察に許可をとり、車道の歩道側を2〜4列ではみ出さないよう進んでいるのに、ヒルズの手前あたりでアジビラみたいなものをかかえてわけのわからない奇声を挙げながら、歩道を併走して先頭のほうに合流した人物が一人いた。欧州のデモのような逮捕者・負傷者を出さないように平和的に、という方針の元にデモをしているのにはた迷惑な…


その人物が終着点の公園で聞き取り困難ななにかをマイク片手に喋っていたのにも驚いたが、それが本人のブログで知人だとわかり、いいトシをしてデモを通しての自己実現に酔い痴れているのにさらに驚いた。というか、呆れた。