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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

呑んでくれ。蓮華の上で、もう好きなだけ

鈴木芳樹氏、id:yskszk、通称ヨシキとは、いろんなMLで袖触れ合って同郷で年も近いこともあり知り合いになり、10年くらいだった。


そんなヨシキの訃報を朝、共通の友人のmixi日記で読んでなにかの読み間違いかと思ったが、その後別の共通の知人の日記で本当のことだと知る。お通夜と葬儀の時間と場所が明記されている。


「マジかよ…」というのが最初の感想で、その印象はこれを書いている今も続いている。なにしろ突然すぎる。実感がなさすぎて、お通夜に行くとはいっても、当の本人がわけがわからないって顔とニヤニヤ顔を交互にして冷酒をあおって、いつもどおりぐだぐだになっている図しか思い浮かばない。


とりあえず家族と友達にメールで連絡。それから遺されるヨシキの飼い猫・春野さんのことが気になり、春野さんの仲間猫を飼っている旅行中の友達に躊躇しながらも連絡する。こちらは動揺して変な文面だったと思うが、旅行中にもかかわらずすぐに返信くださり、妹さんへの伝言を預かる。ヨシキが頓死だとしてもそうでなくとも、心残りがあるとすればきっと猫のことだろう。あれだけ可愛がっていたのだから…


ヨシキは以前、もう7〜8年前にもなるが、この、春野さんの仲間猫を飼っている友達とともに、今考えてもわたしがかなり辛かった人生最悪の時期に、多摩の田舎まで引越しの手伝いに来てくれた。そのときはずいぶん救われた。それに見合うお返しが果たしてできていただろうかと悔やまれる。あの頃のヨシキは飲んでも奇矯とはいえそれほど迷惑な行動はなかったのだが… その後、迷惑行為の増えてきたヨシキに対して、苦言を言っても面と向かってだとのらりくらりと交わされ、メールやメッセージを送ると返信なしだったので、いいかげん呆れて最近はめっきり疎遠になっていた。


そんなわけで最後に接触したのは、二ヶ月くらい前にメールで苦言を呈したのが最後になってしまった。返信はやはりなく、斜め上の回答のようなはてなのエントリが上がっていた。そのはてなでしばらくしてからミスタイプや誤変換ママの更新が続いて、「大丈夫なのかな?」と心配していた矢先に、これである。「病院で亡くなった」と聞いてまず頭に浮かんだのは、「また階段から落ちちゃったんじゃ…」ということだった。実際は違ったわけだが、頓死ではあった。おそらく本人も最期まで、まさか自分が死ぬなどとは思っていなかったのではないかと思う。


さて、彼の実家の宗教はごくふつうに仏教だが、本人がキリスト教文化にも詳しかったことを考えると、どう祈れば喜ぶのか、ちょっとよくわからない。正直な気持ちとしてはこのエントリのタイトル通りだ。で、なんでカテゴリが[読闘]なのかというと、以前彼がリンク集に入れてくれていた読闘食闘日記の前身日記に言及してくれたなあと思い出したので。たしか、レイモン・クノーの『文体練習』だったっけ。


[追記]
お通夜には10年くらい前からの顔見知りがたくさん。「僕たち95年くらいにネットやり始めた仲間って、クラスメイトみたいなもんなんですよ」と友人がヨシキのご母堂に話す場面もあったりして。そして生前と変わらず「いかにヨシキがヤバいか」な話ばかりの明るいお通夜でした。本人が通夜ぶるまいの部屋から廊下一本隔てたところで、もう生きてないのが不自然なくらいに。


妹さんが弔問客の多さに驚くほどでもあり、東浩紀氏からブログの内容よりもう少し私的に踏み込んだ弔電も来たそうで、本人の意識があればこれほど嬉しい席はなかったんじゃないかな。ネットの上でもリアルでも、言及されるのが好きだったヨシキだから、こうやって日記をしたためることも供養になるのではないかと勝手に思っている。