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『愛のジハード』@東京国際レズビアン&ゲイ映画祭

イスラム社会における同性愛がテーマのドキュメンタリーなら、顔出しするとイスラム社会で暮らしていけないのでは? と思っていましたが、やはりかなりの登場人物の顔がぼかされていました。上映後の監督の話では、編集段階で「やっぱりわたしの顔もぼかしてください」という依頼があんまり続いたことがあって、冒頭にゲイの父とその子ども達がペンギンと戯れるシーンで、「むしゃくしゃしてペンギンの顔をぼかしてやった。後悔はしていない」とのこと。


ところでわたしはイスラム社会での姦淫に関する刑罰の激しさからずっと勘違いしていましたが、同性愛者だからって秘密警察みたいのが内偵していて見つけ出し次第、石打刑に処されてしまうというわけではないのですね。厳しい国でもゲイ・パレードのような「自分はゲイである」ということを前面に押し出した行動を取らなければ処罰はされないとのことです。とはいえ、教師だったりすると同性愛者であることで自主退職をすすめられたりしてしまうようですが…


そしてその処罰も国によってずいぶん差があるようです。それは結局、同性愛の禁止についてコーランに明確に記されているわけではなく、過去の宗教学者たちがコーランのソドムとゴモラの街の記述から状況証拠的に「同性愛は禁止」と決めていることに起因しているのではないかと思う。だからこそ、イスラム古典文学には男同士の恋人が頻出し、それは発禁にもなっていない上に文学として評価されている社会で、同時に迫害されている同性愛者がいるという状況が生まれるのではないかしら。


そして、処罰が厳しい国で同性愛者であるためにイスラム社会で暮らしていけないということが難民申請の立派な理由になるということもはじめて知る。登場人物の一人が、美輪さまも昔から言っている「ただ人を愛しただけで誰も傷つけていないのに、なぜ非難されなければならないのか?」と言っていたことがいつまでも残っています。


次は、ゲイのイスラム教徒から映画監督、またアメリカ移民になる監督自身の人生の過程を描いた映画を作ってほしいなあ。手持ちカメラの映像の揺れとブレでかなり車酔いに近くなってしまったので、次はぜひ、固定のフィルムカメラで再現ドラマ風に撮ってくれるとうれしいです…



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