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チベット民族蜂起50周年イベント「チベット、抵抗の50年」@国立オリンピック記念青少年総合センター大ホール

夕方から代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターの大ホールでチベット民族蜂起50周年イベント「チベット、抵抗の50年」。友人と現地集合して入ったら、チベット・チルドレンズ・プロジェクトに関わっている友人がブースにいて、去年3月からチベットで逮捕された人の中で、現在確認の取れていない、写真のある100人近くの方のリスト(写真がある人は本の一部で、実際は1,000人以上が拘束されている)と、アップリンクで4月11日から一般上映される『風の馬』と『雪の下の炎』のチラシをもらう。


席についたが、立派なホールがより立派に見えてしまうくらい、人が少なく感じる。友人が「日本人はこういうとこケチだよね。ひとのために自分の時間やお金を割かない。このままチベットやウィグルのひとたちのことが忘れられちゃいそう」と言う。たしかに開会まで15分くらいなのに、そういう危機感を感じるほど、ホールは空席が目立った。主催者側からも「どうぞ前のほうにお座りください」と何度かアナウンスがある。


そのうち、また別の友人が現れ、じきに開会。黙祷を捧げてから、イギリスのチャンネル4で放映された『UNDERCOVER IN TIBET チベット潜入取材』の上映。取材者はイギリス国籍を持つ亡命チベット人で、三ヶ月の取材旅行中、投獄と強制送還を含む恐怖のために吐きながらもミッションを敢行したという。この映像作品では、今までネットや本で文字で目にしていたチベット人への虐待が、それを話すチベット人が顔を隠していて、かつ字幕でも、読むときよりも強い衝撃で飛び込んで来る。とくに、わたしが女であるからか、一人っ子政策に反したからといって、麻酔なしに卵管を切って縛る強制不妊手術の実体が、体験者から語られる場面は辛かった。


そして、チベットのある土地の資源を掘り出したいために、そこを住処としている遊牧民たちの土地と家畜を取り上げ、学校も病院も仕事先もない、捕虜収容所に毛が生えたみたいなコンクリブロック造りの住宅地に彼らを閉じ込めて、生きるためには盗むか都市に出て物乞いするしかない状態にしている実態をはじめて目にして「ああ、アムネスティの言ってた『チベットは巨大な捕虜収容所』ってこういうことか」と怒りを覚えた。


上映が終わるとチベット問題を考える議員連盟の牧野氏が講演。『UNDERCOVER IN TIBET』について、「くやしくて、かなしい」と言い、そして、自分は今浪人中で、力を貸して国会に戻してほしい、というのだが、肝心の選挙区やなにかを言わない。言うと選挙活動になってしまうので言えないのかもしれないが、「詳しくは私のウェブで」とかのアナウンスがほしかった。


その後、ダライ・ラマ法王代表部日本代表のラクパ・ツォコ氏のお話。チベットについて報道したり話すときに「チベット族」と言わないでほしい、私たちは「チベット人」です、と言われる。日本の大手報道機関やTV番組でチベット人が「チベット族」と言われると、日本はアジアで影響力があるので、やめてほしい、と話された。そのあたりはもしかすると今日参加している一般の人たちには一番、どうしようもない問題かもしれない。

そして、ラクパ氏の話の中でもう一つ印象に残ったのが、バスケットボールを床において、なにもしなければなにも起こらない。でも、それを上から叩けば反動で跳ねる。叩けば叩くほど跳ねる、という喩えだった。


そう、これだけの非人道的な扱いをすれば、リアクションが返ってこないまでにチベット人たちを心身ともに抑え込めると、なぜか中国政府は思っているんだろうけど、殺されようとしているのに「もういいです…」と生きることを放棄する人はやっぱりあんまりいないだろう。生き物として、本能的に反抗するだろう。そう、思った。


その次の在日チベット人コミュニティ代表のケルサン・ドゥントゥプ氏は愉快な人だった。代表になったとき、彼は奥さんに「これから1年間、ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします。チベットのことで夜や土日に出かけますが、浮気ではありませんので」と言ったそうで、奥さん… 怖い人なんだろうか、とか笑いながら思っていたら、「みなさん見ておわかりのように、わたしマジメな男ですから」と言うので、会場は笑いの渦に。日本語もまだおぼつかないところがあるのに代表に推されてしまった、とのことだが、困難な時こそユーモアを忘れない人柄の彼だから、選ばれたのだろう。


その後、今日の昼間の中国大使館へのチベット人たちの抗議行動の様子をSFT日本代表のツェリン・ドルジェ氏が紹介し、次にSFT本部の副代表の方からのビデオ・メッセージで、今年のチベット正月(ロサル)が祝われなかった「ノー・ロサル運動」に彼らが大きく関わっていたことを知る。「道端での抗議活動とはちがう、このような抵抗運動に中国政府は慣れていないので、どのように扱ってよいのかわからないようです。今後、また別の運動を計画しています」とのことだった。


そして、あっという間に2時間のイベントが終わった。ゆっくりホールの出口に向かっていたら、団塊世代っぽいおじさんが若い女子ふたりに「フリチベ運動やるさいきんのひとたちは学生運動とかはしないわけ?」と聞いていて、女子の一人が「いやむしろノンポリだからできるんじゃないですかねえ」と話が弾んでいた。今日のデモで出会ってイベント会場までいっしょに来たのだろうか?


それから先日野田MAPと重なってしまって行けなかった226イベントのパンフレットを友人にもらい、帰宅してばんごはんを食べ、録画しておいたタモリ倶楽部白洲次郎のドラマ2回目を見る。GHQとの折衝がはじまったところで終わったのだが、3回目にして最終回が8月放送というので驚く。先週、今週と放送してきて間が空き過ぎ。忘れてしまいそうだ。


しかし、ドラマのなかの「自由には責任が伴う」という言葉と、「自由を享受できている人は、できていない人のために、自分の自由になる時間や思いやお金を使う義務がある」という自分の思いが、その他のセンテンスにならない思いとともに脳内をぐるぐるしすぎたのか、花粉アタックで鼻粘膜が弱りきっていたのか、入浴中に鼻血。この日記は、鼻血が止まるまで寝られないので書いたものに手を入れた。