読んだり食べたり書き付けたり

霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

『風の馬』@アップリンクファクトリー

物語映画とドキュメンタリー映画というのは、なぜか空気感が違う。風景をただ映していても、なにかが違うように感じられるのだ。


この映画、『風の馬』はドキュメンタリーではなく、フィクションとして作られている。が、冒頭のチベットの田舎の放牧風景の空気感は、フィクション映画の背景としてのそれではなく、記録されるべきドキュメンタリー映画の空気感で、まずそこにはっとさせられる。


そのようなことを思わせる映像で始まったこともあるのか、映画の物語はフィクションとして作られ、主役級の人物はプロの俳優や歌手が演じているのに、ドキュメンタリーのように生々しい。それはもちろん、脚本として書かれたこの「物語」が、チベットでいま現在も起きている事実をつなぎ合わせて作られたからにほかならない。このパンフレットでキャスト紹介を見ると、主役のチベット人歌手・ドルカを演じたダドゥンの身の上は、この映画で演じた役柄にかなり重なるということからも、そのことが推測される。


だから、この映画はフィクションであるけれども、ある意味フィクションの形をとったドキュメンタリーといってもいい内容と迫力に満ちている。政治的な問題から亡命する映画、というと『サウンド・オブ・ミュージック』が有名だけれども、『風の馬』は、ナチス支配がとうに終わったものとして安心して見ることのできる『サウンド・オブ〜』とは違って、現在進行形の中国共産党チベット抑圧をまざまざと突きつけられる、苦しい映画なのだ。


見ている間、「彼がその情報を漏らすのを一晩遅らせていたらあの証拠は…」とか「あの時、彼女が仮面を被って歌っていたら、もしかして…」とか、すでに定められ、書かれた物語に関して、さまざまな「もしも…」を考えてしまい、苦しかった。そして、こんな苦しい目に遭わずにすんでいる自分にできることを、できる範囲で引き続き考えていこうと思った。