『聞き書き ダライ・ラマの真実』
先月、出たばかりの本。今日、通勤の生き返り、じゃなくて行き帰りで読み終わった。
「わたし」が縁あって、いま、ここにいる、ということについて、著者が受けたチベット仏教の授業のダイジェストが書いてある部分に、コンパクトにまとめられているところがあった。著者があくまで自分を「ふつうのおっさん」というスタンスに置いて書いてくれているので(この書影にはないけど、ダライ・ラマと著者とのツーショット写真の帯での顔もきわめて日本のふつうのおっさんぽい)、すべてがわかりやすいのだが、この部分は特に、なんてスマートな表現だろう、と感じ入ったので、メモしておく。
仏教では究極的な意味で「わたし」というものを認めていません。一つの細かい微粒子の集合である「わたし」という仮の存在はあるが、それはあくまでも、ある縁によって集合した細胞の塊のようなものです。
ほかに、ダライ・ラマ、チベットの人たちや、貴重な仏像、仏典などの写真も見応えがあって、お値段の割にお得感いっぱいの一冊でもあった。この本の前に『聞き書き ダライ・ラマの言葉』という本も出ているようなので、探してみよう。
ところで巻末の「生活人新書」のPRページに『自転車で痩せた人』『自転車三昧』(高千穂 遥)というのがあるのですが、これってやっぱりあの、ダーティペアの…?