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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

カターの贈呈とキャンドルライト

さて、雨だけど隅田川どうしよう、と考えていたら、ニティヤーナンダさんがいらして家族がPC関係の話など。わたしは田崎國彦先生の奥様に声をかけていただき、初対面なのにチベット難民の教育について、宗教的側面と教育学的側面からの話がとつぜん盛り上がってしまい、砂曼荼羅の砂をもらう列のだいぶ後ろに並ぶことに。砂をいただいてから時間を見ると、今から隅田川に行っても間に合わなそうな感じだったので、資料や物販が展開されている3階で渡辺一枝さんの写真集『風の馬』を見たり、『バター茶をどうぞ』を読んだりして静かに過ごす。

そのうちおなかがすいていることに気付いたので新宿駅方面にもどってばんごはんをとり、キャンドルナイトのためにまた戻ってくることにする。雨なので心配していたのだけれど、スタッフの方に聞いたら「やります」とのことだったので。

そして戻ってくると、山門からなにか明るいものが見える、と思ったら、テントが張られ、その中におおきなキャンドルがたくさん灯されていた。


フジロックで何度も見ているキャンドルアーティストJUNEさんの作品だ*1。お堂の入り口にも中ぐらいのものがいくつか飾られ、そばのテーブルには各自が持ち寄ったキャンドルが燃えている。


お堂の入り口とテントとを行ったり来たりしてキャンドルを眺めていると、「ボランティアスタッフの方はお堂の中へ」と、声がかかっている。なんだろうと思っていたら、お坊さんたちからボランティアスタッフの方たちへ、カターの贈呈があるらしい。友人のAさんも名指しで呼ばれ、荷物を持ったままあわてて入っていこうとするので、荷物を預かる。5日間、自分たちは法話を落ち着いて聞いたり、声明に感覚をゆだねたりする時間もなく、とにかく目配り気配りで動いていた彼ら・彼女らの気遣いには本当にありがたく思っていたので、良かったなあと思う。

それから雨の中、お坊さんがテントの中に移動する。テントはお坊さんがキャンドルを囲んでようやく全員入れる程度。ほかの参加者は傘をさしてテントの外側に立つ。そして読経がはじまった。と、思ったら、お坊さんの一人が持っていたダライ・ラマの写真をテントの外の青年にひょいととつぜん渡された。これは青年には予想外だったようで、あわてて持っていた傘を落として写真を持つ。ちょうどうしろにいたので傘をさしかける。そして静かに儀式が終わり、お堂の中でバター茶とチャイのように甘いバター茶がふるまわれるとのことで、移動する。あちこちで車座ができていて、Aさんのいる輪にいくとダライ・ラマ法王日本代表部事務所のラクパさんがいらっしゃり、いろいろなお話を聞くことができた。

なかでも印象的なのは、インドにチベットのお寺を再建したことで、ヒマラヤ文化圏からたくさんのお坊さん留学生がある、というお話だった。近くはインド内のチベット仏教圏・ラダックから、遠くはモンゴル、またロシア領内のチベット寺院からも留学してくるのだそう。そして、今回瞑想指導や法話をされたカーチェン・ロサン・シェーラプ師はタシルンポ僧院館長代理であり、またチベット仏教の最高学位であるゲシェ・ラランパ博士号を持つ方なのだが、チベット人ではなくラダックの方なのだそうだ。ラクパさんいわく、チベット人であるかどうかではなく、いかに優れているか、ということで人事が行われるとのことだった。

そして、ラクパさん自身が日本で仕事をしていて大変なことについて聞かれ、チベット亡命政府の方の猛烈な仕事ぶりを思うと、自分の悩みなど(オーストラリアにご家族がいらっしゃって単身赴任状態とのこと)まったく問題にならない、とおっしゃっていた熱さに打たれた。

ゴールはあると確信してはいるものの、それが丘の向こうにあって見えないようなチベット・サポートの状況で、今回のようなイベントでチベット文化に浸ったり、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所の方のお話を間近で聞いたりすることは、休息であり、活力にもなると思えた5日間であり、また、タシルンポ寺院のお坊さんたち、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所と常圓寺さん、そしてボランティア・スタッフの方にはただただ感謝の5日間だった。