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『ザ・カーマン』


すでに『白鳥の湖』DVDを持っていたのでしばらく悩んだのだが、未見の2本が入って6,000円ちょっとだったので、買ってしまった。まずは舞台を見に行こうか悩みつつ、行かなかった『ザ・カーマン』を。


ザ・カー・マン [DVD]

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ビゼーの「カルメン」の舞台をスペインからアメリカの片田舎に移したことで、煙草工場の女工である肉体労働者・カルメンをめぐる物語が内包する泥臭さと猥雑さがより際立つ。というのもバレエとしての「カルメン」は、フラメンコの華やかな衣装とか闘牛士という道具立てが、市井の労働者であるカルメンやドン・ホセ、エスカミーリョの生々しさを覆い隠して、黒鳥の王女オデットとぼんくら王子と変わらない、生々しさのない類型的な存在にしてしまうからだ。そこにはもはや生身の女と男の生臭さは感じられない。どちらかといえば生々しさよりも美しさを実現するのがクラシック・バレエではあるけれども…


さて、『ザ・カーマン』ではカルメンを魅力的なバイ・セクシャルにしたことで、「カルメン」をより強烈にしたかのようなピエール・ルイスの『女と人形』での女・コンチータの悪魔的な存在感さえもが思い出される。『女と人形』はマレーネ・ディートリッヒがスタンバーグと組んだ最後の作品『西班牙狂想曲』でコンチータを演じたら、原作+ディートリッヒの相乗効果による悪魔度の高さのせいか当時のスペイン政府に焚書ならぬフィルム裁断の憂き目にあったほどの、それは破滅的な物語だ。とはいえクール・ビューティのディートリッヒの悪女なので、生々しさはそれほど感じられない。


女と人形 (アフロディーテ双書)

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しかし、舞台が自動車修理工場となったこの『ザ・カーマン』は振り付けは扇情的で、半裸で踊る男や、スカートの中が見えるくらいまで裸足で激しく踊る女(もちろんチュチュはなし)たちから、汗と機械油の入り混じった匂いが漂ってきそうなほど! そして、薔薇のタトゥーを入れた男や、一日の仕事のあとで並んでシャワーを浴びる男の姿は、金子國義の描く薄汚れたランニングを着て、肉体を誇らしげに見せ付ける男たちを思い出させる。


そんな中で、冒頭から1人だけ美しくない、中年太りの体をスーツに包んだ自動車修理工場と、隣接するダイナーのオーナーがいる。アメリカ映画で最初に死ぬデブよろしく、彼は若く美しい労働者たちの中で浮いている。赤毛でキツい顔立ちの、やはり金子國義が描きそうなオーナーの妻も、すっかり彼に愛想をつかしていて、若い男に色目を使ったりちょっかい出されたりしているのだが、この田舎町で彼女を満足させるほどの財力があるのはこの中年男だけと見え、別れるつもりはないらしい。


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さて、ではカルメンは彼女なのか? と思って見ていると、現れるのは片頬に傷のある、いかにもアメリカ的流れ者な風体の、男。彼の肉体もまた、自動車修理工場の若い男たちに混じると少し、異質だ。工場で働く若造たちのように、ただ若いだけのしなやかな肉体ではなく、使い込んだ筋肉で厚くなった体で、工場長の妻を惹き付ける。


これ以上はネタバレになるので書きませんが、カルメンが誰なのか、ドン・ホセは、エスカミーリョは、ミカエラは誰なのか、見立てを楽しむのも面白い。


それと、あちこちに散りばめられる映画へのオマージュがとても楽しい。労働者の若者たちの群舞は『ウエスト・サイド・ストーリー』的でもあるし、ナイトクラブのマダムと雇われバーテンはコクトーの『オルフェ』の死神とバイクの男たちを思い出させます。もっと最近の映画へのオマージュもあり。


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それにしても、やはりマシュー・ボーンは凄い。『白鳥の湖』でもそうだったけれど、『ザ・カーマン』でも、見終わると、あの耳になじんでいた、いまさら違うイメージを持つのもむずかしいだろうと思っていたチャイコフスキーの、ビゼーの曲が、まったく違う意味合いを持って刷り込まれてしまうのだから。