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14歳のショパン・リサイタル@サントリーホール大ホール

4度めくらいの生・小林愛実の生演奏。生で聴くたびに「?」が浮かんではいたが「まだ若いから不安定なんだろう」と思っていた。が、この日の演奏を聴いて、それだけではないなあ、と残念な気持ちに。


演奏はショパン生誕200年記念事業の一環ということもあってショパン尽くし。モーツァルトベートーヴェンよりショパンやリストで愛実ちゃんの演奏を聴きたい、と思っていたので楽しみにしていたのだが、冒頭のスケルツェ第1番ロ短調Op.20でそれとはっきりわかる、「えっ、そこでそんなミス?」というようなプロらしからぬミスが3回はあり、次のエチュードもその手のミスが2回(もちろんどちらもハラハラという意味でハッとする部分はほかに何箇所か)。…。


その後、黒鍵は4月とは弾き方をずいぶん変えて新鮮な感じ。マズルカや遺作のワルツ、バラードは安心して聴けた。


休憩を挟んでゲルギエフのアシスタントだったこともあるというポーランドの指揮者・ドヴォジンスキ氏とショパン祝祭オーケストラinTokyoとの共演でピアノ協奏曲第1番ホ短調Op.11。席が前から5列目で耳がステージと同じ高さだったので、そのせいでかな? と思っていたけど、なんだかちぐはぐ。ピアノの蓋ではっきりとは見えないものの、愛実ちゃんの様子を指揮者が必死にうかがいながらオケにつなげている感ありあり。これは愛実ちゃん、共演経験をそうとう積まないと将来苦しいことになるんじゃないだろうか。


共演経験もだが、愛実ちゃんには足りないものがいろいろあるなあ、ということが、はっきり見えてしまったのは、演奏場所が足を運ぶ時点でそれなりの出来上がりを期待してしまうサントリーホールの大ホールという場所だったからだろうか。


まず、共演経験の前に練習が足りないと思う。それは演奏会の冒頭ではいつもなにかしらミスがあるのに、後半に進むに連れてスムーズになり、神がかり度が深くなってくることからもわかる。いろいろなところで(指導しておられる先生の筆からも)「練習嫌い」だということが明かされているが、それは事実であって解消されていないんだな、と残念。


次に足りないのが切磋琢磨する環境や仲間だと思う。オケの動向を自らの背中で感じて自分の演奏につなげて行く、ということは彼女にはまだ簡単ではないようだが、それにはいろんな仲間と競い合って練習して練習して練習して練習して、レパートリを増やしていくしか必要だろう。


さらに彼女にはふつうにクラシックを愛聴するファンが足りない。この日も演奏中にパンプスをパカパカいわせたり(しかもときどきパンプスが落ちてヒールの音が…嗚呼!)、眼鏡をかちゃかちゃと取り替えてたり(眼鏡なくても聴けるだろ!)、パンフやチラシの束をバッサーと派手に取り落としたりと、信じられないほどマナーのない聴衆が散見された。前回も思ったが、愛実ちゃんのコンサートになるとなぜかほかのクラシックのコンサートにはいないような無作法な人々(それも主に年配の方々)が、かなりの数で見受けられるのだ(ちなみに子ども連れもたくさん見るけれども、こちらは逆に親子ともども信じられないくらいお行儀がよく、おとなしい)。そのような方々は愛実ちゃんの素人くさいミスタッチとその理由がわからないのか、「いっぱい練習されたんでしょうねえ〜」などと終演後にうっとりと語っているのだ…


こういう環境は愛実ちゃんの成長の阻害になりこそすれ、有益には働かないと思う。もう中学も卒業するのだし、アメリカでもヨーロッパでも留学して、中国や韓国から必死で留学してきているような学友に触れて奮起する環境に移ってほしい。そうしないと彼女は、ハタチすぎたら「巧く弾けているだけの人」になってしまうんじゃないか? そうならないために、愛実ちゃんの運命が拓かれることを祈っています。