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『ブラック・スワン』

一言でいうと、バレエ映画としてはナシだと思います。『ブラック・スワン』を見た人に、あれが「バレエの世界」だと思われたらイヤだなあ。バレエの世界はもっと怖い、というか、ある意味あれは序の口では。


ナタリ・ポートマンのダンサー部分の代役を踊ったABT*1のサラ・レーンが「映画の中でナタリーが実際に踊っているのは全体の5%で、後は私が踊っているのよ。私のボディに彼女の顔をデジタル合成しただけ」と告発*2したのも、「バレエはそんな甘いもんじゃねえ!」という思いがあってのことと思います。



わたしにとっても『ブラック・スワン』はバレエ映画としては、いろいろとイライラさせられる映画でした。一言でいえば「バレエなめんな」。そのおおまかな理由は、
・あんなメンタル弱い「NYの一流バレエ・カンパニー」のプリマはありえない
・オデット(白鳥)よりオディール(黒鳥)が難しいとかありえない
の二つ。


この映画、わたなべまさこのマンガみたいな怖さかと思っていたら、生々しさが怖い映画ではありました。芸能の世界で母と娘がああいう関係にあるのってよく聞くし(とくに二世は。楳図かずおのホラーマンガ『洗礼』*3とか思い出します)、代役に追い落とされる恐怖なんて日常茶飯事、バレエの世界での役柄の掴み方という点では、初演のプログラムならあんなの毎回でしょう。俳優さんも似たりよったりなのでは。


だから、ロードショー前、試写会を見た芸能界の人々や、そこに近い人々の「怖い」「コワい」という感想は、忘れていたいけど仕事柄、向き合わざると得ない、仕事における第一関門を思い出させられるという点での感想だったんじゃないかな。


ただ、俳優さんが役柄になりきるのにセリフという言葉から入り、素の自分に戻るにも日常世界の言葉を注入して役柄を流し出していけるのに対し、ダンサーは身振りで役柄を表現する分、その役柄にまさに「身体的に」取り憑かれてしまうと、公演期間終了後、その体に染み付いた身振りを振り落として素に戻るのは大変だろうな、と思います。


けど、その切り替え方法を身につけてこそ、プロだと思うんですよね。役柄に飲まれちゃってニナのように自傷に走ったり、表現をゲットしても自分をロストしちゃうんじゃ、それは職業人としてプロとはいえない。 細かいことをいえば、ポスターやプログラムetc.に「ニナ・セイヤーズ」と入っているのですから、その公演期間中は「死んでも」穴を空けちゃいけない、と思います。


ましてや設定がNYの一流バレエ・カンパニーの、それもカンパニーやダンサーの実力を測る試金石的な作品である『白鳥の湖』で、あんなメンタルの弱い、かつ、超メジャー作品のシミュレーションが出来てないダンサーがプリマに抜擢されるということが、まずありえない。あれではオデット(白鳥)の前に「四羽」や「瀕死」の役を取るのも難しいでしょう。それがプリマとは、これはどんな人材不足の三流カンパニーの話かと思います。


バレエ映画としてありえないといえば、プリマへの当て馬にあんな背中のダンサー連れてくるようなバレエ・カンパニーのマネジメントもありえない。これまたどんな人材不足かと(もっともあれが予算不足の三流バレエ・カンパニーの話だというなら、この映画全体の状況は非常に納得がいきますが・苦笑)。


さらにオデット(白鳥)よりオディール(黒鳥)が難しい、というのは、バレエ映画としてのリアリティーのなさを加速させる噴飯ものの設定の最たるものだったと思います。なぜかといえば、『白鳥の湖』で表現が難しいのは、大技が決まればごまかせて、かつ人間的な感情表現が豊富で役柄をつかみやすい黒鳥役ではなく、ヒトではなく鳥として振舞わなければならない白鳥役、というのがバレエでの常識だから。映画の中で芸術監督がニナに言う「踊りは正確だが感情が表現できない」ダンサーじゃ無理な役柄は、黒鳥ではなく白鳥なのです。


そんなこんなで、『ブラック・スワン』ではニナのプリマには力不足なメンタルの弱さに終始イライラしたので、帰宅後はアリーナ・コジョカルの動画などを口直しに。


(なんと、雨の野外ステージで滑りやすいなか踊っています!)



そして翌日はマシュー・ボーンの『白鳥の湖』DVDを。『白鳥の湖』の再解釈というなら、このレベルまでやってほしい。



舞台含めマシュー・ボーンの『白鳥の湖』はもう何度も見ていますが、いつもラストシーンでは涙ぐんでしまいます。マシュー・ボーンの再解釈ものは、ほかにも『カルメン』を『ザ・カー・マン』にしたものなどがDVDになっています。

『ザ・カー・マン』はアメリカの自動車整備工場の肉体労働者の話(金子國義の油絵っぽくてゲイゲイしい)と、リアルで現代的に換骨奪胎されています。こういった作品群ならダンサーの背中一面にタトゥーがあってもぜんぜんOKなんだけどな。