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『シャーロック・ホームズ シャドウ・ゲーム』


先日、腐女子映画を見てきました。腐女子に訴求する部分はてんこ盛りだったのですが、いかんせんベースの話がががが。腐女子である前にシャーロキアンでもあるので、納得いきません。

というのも、前作は「うん、ワトソンが発表してないそういう話もあるかもね」と楽しめたんだけど、今回のは「おいおい、それやっちゃったら、もう元ネタと完全に分岐しちゃってパラレルワールドのホームズですよ。そりゃー、ホームズの版権者反対するよ」という展開だったため。

ホームズとモリアーティが滝壺に落ちてから、ワトソンのもとに帰還したホームズによって語られるはずのあれこれが、滝壺以前に語られてしまうし、そしてそういう話の運びでは、ホームズが帰還したときにワトソンが「驚きと喜びのあまり失神する」という元ネタ最大の腐女子萌え場面が再現できなくなってしまうわけで…

しかし、あんだけ元ネタふんだんに盛り込んでの二次創作がこんな大作で許されるとは、びっくりです。

ところで愚痴々々言ってるのは映画として面白いからもったいなくて言っているわけなんですけども、今作で秀逸なのはモリアーティ教授の造形。映画における大犯罪者というと、どうしてもレクター博士を思い起こしますが、この作品でのモリアーティ教授はレクター博士とはある意味対極の人物。

レクター博士が人間というものに異常なまでに興味を抱くがゆえに連続猟奇殺人者となっているのに対し、モリアーティ教授は人よりカネ、そして世界を動かしているという支配欲への耽溺から、「カネのために戦争を起こす」という計画を着々と進めるのです。

映画を見てからわたしは、ガイ・リッチー監督がモリアーティ教授をこのように表現した意図について考えています。