読んだり食べたり書き付けたり

霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

山伏部分覚え書き@「チベット・日本の自然に眠っているもの」

こないだ水曜日の夜、下北沢の気流舎さんでのトークイベント「チベット・日本の自然に眠っているもの」は、昨日のエントリで書いたのがチベット密教部分ばかりだったので、山伏部分について覚えているところをメモ。ちなみに山伏の坂本大三郎さんはこんなひと>http://book.asahi.com/reviews/column/2012070100015.html

 

・山伏のことを「山の聖(ひじり)」と呼ぶことがあるけれども、この「ひじり」は「聖=聖なる存在」を直接に指すのではなく、「日知り」すなわち四季の巡りに依拠する人間の生活の暦を知っている人、という意味だった。たとえば春のこの時期に田植えをすることで、秋のしかるべきときに収穫が得られるなどの。

 

・山伏は年がら年中、山にこもりっきりというわけではない。だが、山から里に戻る時には、それまで山の自然のリズムで暮らしているので、里のリズムに心身を戻すために「直会(なおらい)」が必要になる。

 

・では、山にいない時の山伏はなにをしているかというと、「日知り」の情報や、離れた地域で得た情報や技術を持って村々を回っていた。その持っている技術で、門を建てるなどの土木工事にも参加する(この技術を持って漂泊するという点で、サンカとどんな関連があるか聞けばよかったなあ)。

 

・山伏はもともと、仏教の特定の流派や寺院に所属しないものだった(インドの行者のほとんどが一人流派みたいなものかしら?)。ある時期に政治的な理由で二大流派のどちらかに属すことになった。

 

・山伏の修行の一環として、生まれなおす儀式があり、その最終局面では神社の参道を産道に見たてて、「オギャー」というような雄叫びとともに駆け降り、焚き火を飛んで水を飲んだりして出産の生まれて来る側の体験を再現する。

 

ほかにも、「生まれなおし」の前段階のいったん「死者になる」ことについてなど、興味深いことをいろいろ聞いたはずだけど、山伏についてまったく知識がないので、こんな風に断片的にしか残っていないのだった。ご本人の本を読むのが楽しみです。

 

山伏と僕

山伏と僕