読んだり食べたり書き付けたり

霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

東京バレエ団創立50周年 祝祭ガラ@NHKホール

NHKホールで東京バレエ団50周年記念公演。記念の大入袋が配られたんだけど、中身は今回のロゴ入りのえらい実用的な品物。遅れて席に着く時に使えと?


公演は、最初にチャイコフスキーの『眠れる森の美女』のパノラマが演奏され、同時に東京バレエ団がまだ東京バレエ学校だったころの東京の街角や、教室に通う子どもたちのモノクロ映像が流れるところから始まりました。

そこでなぜかわたしはバレエではないけれど、戦前に授業でリトミックをやっていたトモエ学園のことを思い出して、泣けてきて困りました。戦争で校舎が焼けなかったら、トットちゃんの学校もこんな風に生き残れただろうか、とかいろいろ考えてしまったのは、東京バレエ学校もトモエ学園も、ある程度以上の社会階層の子どもたちが通う場で、イメージする姿が似通っていたからかもしれません。

そのあとは、50年前のあの頃にもこんな小さくても、きちんとポワントで踊れる子がいたんだなあ、という思いでまた涙。歳を重ねると脳内に参照項目が増えるからか、涙もろくなって困りますね。

さて、ギエムがボレロやめますと言って以後のなんやかんやでの追加公演では、回を追うごとにジャンプが低くなってきてるなあと思います。

前から思っているのですけど、それってやっぱりギエムがクラシックを踊らなくなったからだと思うのですよね。クラシックバレエの、上に上に向かう踊りをいつもしている人が、重心が低めに見えるボレロを踊って、下に引っ張られるのに対抗するかのようにしてジャンプするところに、見る側は爆発的な力を感じられるのだと思う。

たとえばこれが、野村萬斎ボレロを踊ったとして(十分、踊れると思うし、面白いと思う)、それは普段から重心が下の人が踊るという点で、ぜんぜん違うと思うのです。

とはいえ、ギエムのボレロは太陽みたいなもので、雲がかかっても太陽は太陽、何物にも代え難い存在で、月にはならないんだなあというのを改めて実感。

今日はオネーギンも素晴らしく(タチアナの吉岡さん相変わらず素晴らしい演技力!)、ルグリのダメ男ぶりに、ああ、これはちゃんと成長した女性と、そうできなかった男性の物語だなあと思ったり。

ダメ男と言えば、この日の最初の演目、ペトルーシュカマラーホフ非モテっぷりはすごかったです。情けなさすぎてイライラして、これは女子に選ばれなくてもしかたないよね、ムーア人抜きにしてもないわー、と思うダメっぷり。

バヤデールは群舞が相変わらず素晴らしい! 一方、ヒロインは……、相変わらず。ここは外さないようにしなきゃ! と思っているだろうところと、そうじゃないところがわかりやすすぎ。そしてそこで力尽きて役柄に入れてない。筋力が相変わらず足りてないのか、群舞やトリオの女子よりトウシューズの足音が大きいし、腕の動きがとってつけたよう。せっかく群舞にうっとりしていても、彼女が出てくるたびに雰囲気ぶち壊しです。

あと、これはほぼ毎回だけど、生演奏でボレロはチャレンジングすぎるからやめてあげて(涙) 今日はボレロの前から不安な感じの演奏でボレロも、うーん。家族は帰宅後、すぐにカラヤン指揮のボレロで口直ししてました。