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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

空耳スナイパー

男はスナイパー。いや、間の悪いスナイパーだ。 どんなふうに間が悪いかというと、たとえば、十分に下調べした張り込み場所の屋上でターゲットを待ちかまえてたら、数年に一度の水道タンク点検が上ってきたり、ゴルフ場に潜んでターゲットが近付いてくるのを待っていたら、去年までなんともなかった花粉症がその日、その場所で発症したり。おかげで即死は依頼だったのに、ターゲットは未だに生きている。植物状態だが。

それが理由で男は追われている。きっと誰かにどこかから撃たれて死ぬんだろう。男は考える。
(ならせめて、慣れ親しんだ街の風景を見ながら逝きたいもんだ)
(どこにするかな。新宿は殺伐としすぎてるよなあ。第一、新宿じゃなんだか職場で死ぬみたいだ)
(青山…… おれにはお洒落過ぎるな。うーん、渋谷とか?)

そこで男は、人生最後の散歩に出掛けた。渋谷駅。
(ここで狙撃されたら頭がボディビルダーが握ったリンゴみたいに砕けて血が飛び散って、おめかしした横のねぇちゃんとかとんだとばっちりだよな)
そう思いながらハチ公口前を通る。
(まあポリがいるから後片付けにはいいかもな)
交番を右目で見ながら線路の下をくぐる。くぐり切る手前で食欲に負けてラーメン屋に入る。
(へぇ、最近のラーメン屋は割箸じゃないんだな。エコってやつか)

いつ殺られるかわからないのに、男は妙に落ち着いている。ラーメンの味もよくわかるようだ。
(まあ、たいして旨くもないんだが。いかん、ラーメンであったまったせいか、クシャミが続けざまに出るよ。ちくしょう、花粉め)

皮肉にも、男は消されることになってから落ち着いて過ごす時間が取れていた。今までの仕事の時に、こんなに落ち着いて狙撃のできたことはホンの数回だった。それもこれも、男の間の悪さのせいなのだが。

とはいえいま落ち着いていられるのは、人中にいる間はまだ大丈夫だろうとたかをくくっているからだった。
(そうだ、見通しの効くところで食後のコーヒーでも飲むか)
男はラーメン屋を出て宮益坂下の交差点を渡り、地下鉄ビルの二階に上がってルノアールに入る。ここは駅近にしてはいつも空いている。喫煙者に優しい仕様のせいだろうか。

男は窓際の席に座った。宮下公園が見える。そしてしばらく、おしぼりを使ったりコーヒーを飲んだりしながら、山手線や埼京線が通るのを見ていた。

(ターゲットを探すことなくこんなふうに、ぼーっと景色見たのなんて、いったいいつぐらいぶりだろうな)

カフェインのせいか、ようやくクシャミと鼻水がおさまってきた。コーヒーの後にはお茶が出る。
(いいねぇ、さすがおっさん御用達のルノアール、落ち着くよ)

緑茶も飲み終えた男は、そろそろ出ることにする。
(どうすっかなあ。原宿とか別に興味ねえし。あ、トイレ行ってくりゃよかったな。宮下公園ですませるか)
男は歩道橋を渡って公園に入り、公衆便所で用を足した。手を洗ったがポケットにハンカチがない。手を中途半端にだらりとさせながら外に出ると、いま渡ってきた歩道橋の上でカップルが向かい合っている。こっち側に向いてる若い男はなんだか妙にテンションが高い。見るともなく男が見ていると、若い男がジャンパーのポケットから、指輪が入っているらしい小箱を取り出した。

(プロポーズか…… 若いやつはいいなあ)
微笑ましく思ったとたん、小声で「手を挙げろ」と言われると同時に、肩口に硬いものを当てられた。
(……やられた)
男が完全に油断している間に、敵はいつのまにか来ていた。
(まさか接近戦とはな)
左のこめかみにいやな冷たさが走った。
(45口径か。こんな町中の公園で殺されるのか、おれは)

と、歩道橋の上の若い男がトイレ前の状況に気づいた。
(おれは、……なんでこうも最期まで間が悪いんだよ。おれの仕事の失敗はおれの間の悪さのせいだけど、それが見知らぬ他人のプロポーズまで失敗させていいってことにはならねえよ)
男はジェスチャーしながら、若い男に念を送った。

「あ、いいから小箱を」

若い男はますます動揺している。
(そんな間抜け面、プロポーズ中にしちゃだめだろ! 頼む! こんなおれの間の悪さに影響されないでくれ! 最期にもなって他人の人生の邪魔はしたくねえよおれだって!)

男は必死の思いで、もう一度ジェスチャーを送る。

「開けてしまったほうがいい」

だが、トイレ前からの距離でも、小箱を持つ手が震えているのが男にはわかる。
(ごめんな、ほんとおれ、昔っから間が悪くてさ……)

次の瞬間、懐かしいような衝撃が男の左側頭部を襲った。