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『大いなる沈黙へ』@ポレポレ東中野

見る前にカフェオレ2杯飲んだので、長い上映時間中、最後まで膀胱が持つか心配でしたが、トイレへの切迫感もなく、眠り込むこともなく、3時間近く、見入っていました。フォーカスするところが見る人によって変わる映画だろうと思います。

わたし自身は父母それぞれの実家が三代四代とカトリックで、親族に修道女もおり、幼少期は夏は東京からカトリックの修道女、修道士、神父が黙想しにくる地域で過ごしていたので、こういう生活がものすごく奇異だとは思わないのですが、ほとんど知らない方からしたら、驚きの生活だと思います(ただ、夏だけ黙想する聖職者の方々は、この映画のように祈り働き祈り働き、を繰り返しているわけではないですが)。

とはいえわたしがこの映画で最初に驚いたのは、祈祷書の楽譜の音符が丸ではなくて、四角であること! グレゴリオ聖歌を作られた当時のネウマ譜で歌っているとは。手描きじゃなくて印刷のネウマ譜で、音符の形がひし形ではなく、完全に■だったのがけっこうびっくりでした! あとから教えていただいたのですが、フランスの修道院モンサンミッシェルなど、今でもネウマ譜のところがけっこうあるとか。

また、最初はドイツ語で製作者の名前などの字幕が出て、その後、言葉が発せられないので、「あれ、この修道院、フランスの修道院よね? ドイツだっけ?」と思い始めたころ、入会式の言葉がフランス語で、あ、フランスの修道院だったとホッとしたりもしました。

そして、ほぼ中世そのままの修道院生活のなかに、IBMのノートパソコンやバリカン、電子楽器が出てくると、タイムスリップしたみたいに不思議な感じを覚えたのも驚きでした。現代なのだから、そういうものが出てきてもおかしくないのに、僧院生活があまりに浮世離れしているので、そう感じてしまうのです。

映画の中では、この道に進んだ修道士たちのモチベーションとなっているであろう新旧聖書の言葉が数種類、フランス語とドイツ語、日本語字幕でたびたび繰り返されるのですが、フランス語とドイツ語の語順の違いが興味深く思われたり、聖バシリウスの三位一体解説がフランス語で読まれるのを聞きながら日本語字幕を読んでいると、日本語で読んでいるだけより理解しやすく感じたりと、言葉が少ないせいか、言葉の重みをとても感じる時間になりました。

今後の都内の上映予定では、下高井戸シネマで11月8日〜21日までかかるそうです。長いけど、ぜひスクリーンで! ライティングなしの撮影なので、スクリーンじゃないとなにがなんだかわからないだろう画面がありますので。