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『ドン・キホーテ』@東京文化会館

ボリショイのドン・キホーテ、まさかのドルネシア姫のシーンで涙腺崩壊! 何にって、耄碌じじいドン・キホーテの純情純粋っぷりにですよ。

この美しい場面は全部、アレクセイ・ロパレービチのドン・キホーテの脳内から生み出されてるんだなあ、でも気づかずに脳内の理想の女性にひたすら敬意を払う演技が泣けて泣けて。

もちろん場面を彩る女性ダンサーたちが完璧な美を作り出している、とか、ドン・キホーテが朦朧とするまでの演出が秀逸なのもありますが、あんなにわざとらしくない、巧いドン・キホーテを見たのは初めてかも。なにせドン・キホーテという人物のキャラクター造形と演出が秀逸なのです。

今まで見たドン・キホーテは、外見からあからさまに頭の弱い奇天烈な、失笑を誘う人物という設定になっていて(おでこに一房、髪が残ってるのに長髪で、わざとらしい動き、サンチョ・パンサはイヤミみたいな髪型でバカ殿みたいにほっぺたが丸く赤い、など)、キトリやバジル、ドルネシア姫が踊る「背景」になっていたのが、この日は髪型も寝癖っぽい程度で、タイトルロールらしくしっかりと肉付けされた「人物」になっていました。

そのせいで、若者のような正義感は溢れているものの、現実と田舎芝居の区別がつかなくて、芝居小屋の悪者役者に突撃したり、老いて体がついていかないのに風車の怪物に立ち向かったりが、今までの舞台なら滑稽な演出だったものが、ダークな舞台の色調もあいまって老いの悲哀を感じさせるものに。

その後に風車に突撃して返り討ちに遭い、朦朧とするシーンのドン・キホーテの脳内で繰り広げられるドルネシア姫のシーンの美しさと、自分の脳が生み出した幻影とも知らず、美しい女性に騎士道精神から敬意を払い見つめ続けるドン・キホーテの純情さ、純粋さに泣けてしまったのです。

ああいう少々、現実認識があやしいけど、品位ある老人に、現実世界ではなかなかお目にかかれないことも泣けた理由の一つかな。


ところでさすがボリショイ、男性ダンサーの層が分厚いのもすごいのですが、女性ダンサーは、キトリ役のトウシューズにいつ破傷風菌を塗った金釘が仕込まれても代役にはぜんぜん困らなそうでした。キトリの友だち役二人は特に巧くて、ともすればキトリを喰ってしまいそう!

ちなみに今日のキトリはエカテリーナ・クリサノワ、友だち役はアンナ・レベツカヤ、ヤニーナ・パリエンコの二人でした。バジル役はちょっとキトリに比べて元気さというか、若々しさが足りなかったなー。王子様役にはダイナミックだし落ち着きがあっていいのだろうけど。