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『革命の季節』重信房子

革命の季節 パレスチナの戦場から

革命の季節 パレスチナの戦場から

いろいろと腹立たしい本だった。椅子椅子団に絡めて、アラブの対西欧側の視点がわかるかと読んでみたのだが、まずタイトルに首を捻る。

「政治の季節」からのパラフレーズなのだろうが、今もシーズンレスに、しかも著者が活動していた頃より苛酷な状況にあるパレスチナ人を思えば、こんなタイトルはつけられないのでは、と思う。にっこり笑った、いわゆる「美人」「女王」と称された自分の顔写真の大写しを使うブックデザインに了承を出すことも同じく。

また、一般人を巻き込んで死なせたテロ、人質を盾にしての金銭を要求するテロに、どこかでおかしいと思っていたのかもしれないが関与しておいて、「あの頃を懐かしむ」ていの「革命の季節」というタイトルをつけるセンスを疑い、無責任だな、と思う。

思えば彼らが参戦したのはパレスチナ人の戦争であって、究極的には日本人の戦争ではない。そこから生じる無責任さに無自覚ながらも立脚してか、戦闘に赴く仲間を見送る側のナルシスティックな姿勢が、イヤというほど書かれる。

そうした無責任さの下には、結局のところ、彼らが理論にではなく、日本では全面的な展開の難しい、革命の暴力的手段に魅入られてしまった点があるのではないか、という思いが拭えない。つまり、「戦争は楽しい」という暴力への衝動だ。彼らの一見、きれいな理論、言論の数々が空虚にみえるのも、暴力への衝動を無意識的にか覆い隠す役割を持っているからではないだろうか? 時間はあるのだろうから、自分たちの行動について、お得意の総括をもっときっちりやってみたらどうかと思う。

また、読んでいると、出てくる日本赤軍のメンバーが全員、少しずつ狂っていくのに気づいていないことに戦慄する。前書きで、そんな彼らに「引け目を感じて生きてきた」と懺悔している見城氏も不気味。

服役中に受けられるべき治療が受けられずに亡くなったメンバーはお気の毒だとは思うが、それさえもプロパガンダに利用しようとする著者は、本当の意味では暴力的手段に訴えたことを反省はしていないように思える。

てか、アラブをほんとにどうにかしたいなら、研究者になるとか外交官になるとか商社マンになるとか、そしてそれでも彼らが望んだような革命の結果みたいな目覚ましい成果は得られないけど、ちまちま積み上げていくしかないと思う。だけど、そういう地道な蓄積はできない人たちなんだろうな、とも思った。

あと、ほんとに世界平和を望むなら、敵の帝国主義より仲間の中国共産党政府に働きかければいいのに、と思う。

イスラエルパレスチナを抑圧するように中国共産党政府が抑圧している、チベットウイグルへの暴虐をやめさせるよう働きかけないのは、思想や冷戦構造に絡めとられたままなんだろうな。