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シルヴィ・ギエム ファイナル@前橋市民文化会館

演目一つ目に、フォーサイスのあの『In The Middle, Somewhat Elevated』が入ると聞いて、ギエムが踊るのか?!と色めき立ったものの、当日、配役表を開いてみればそんなことはやはりなく、全員が東京バレエ団の演目でした。

さて、In The Middle を初めて見て衝撃を受けたのは1990年代後半だったと思うけれど、うーん、思い出補正って、あるものですね。当時はかっこよく聞こえた、ややディスコ風味を残すクラブ風の音楽は、その後のテクノ音楽の進化に馴れた耳には古臭く、振り付けもポーズそれぞれは難易度が高いけれど、ダンス作品としての組み立てとしては、新しさは色褪せたと言わざるを得ません。

東京バレエ団は初演にしてはかなり作品としてまとめ上げていただけに、作品の90年代限定でのコンテンポラリー性がはっきり突き付けられた感がありました。

二つ目はキリアンが武満徹に「夢の時」を書いてもらって作ったという『ドリームタイム』。これは文化人類学精神分析学、心理学などに興味のある人にはたまらない演目でしょう。夢の中の自我のままならなさ、深層無意識での他者との捉えがたい繋がりなどが、ダンサー全員のテクニックが高いレベルで揃っていないと大惨事になりそうな振り付けで描かれます。

舞台美術もまた、ドリームタイムを生きる人々の描いた岩絵のような背景に、雲のように垂れ込める睡眠のような銀色に輝く帳(とばり)の組み合わせ。

三つ目はマリファントの『TWO』。初めて見たのは東京文化会館の二階席で、夫の人はこれがたしかギエム初体験の日の一演目にして、二人とも完全にノックアウトされた演目。2011年の『HOPE JAPAN TOUR シルヴィ・ギエム オン・ステージ2011』福岡公演でもやはりノックアウトされました。

横長四角、畳一畳分ほどの大きさにライティングされた空間は、誰かいるのかがわかる程度の明るさで、ミニマム・ミュージックでギエムが踊り始めてしばらくすると、長四角の真ん中のライティングが一段暗くなりその一段暗い中で踊るギエムの手足だけにライトが当たる状態に。

そこからがダンスのマジックが迸る時間。そこだけライトの当たるギエムの手足は、まるで燃えているように発光して見えるので、振り付けもあいまって仏像が動いているようにも見えてくる。その動きはどんどん速くなり、残像が見えてくるようになり、時間の感覚がわからなくなる。ほんの数分が、そこだけ数時間を圧縮したような濃度の高さに感じられるのです。

そして最後は『ボレロ』というのが、前橋のプログラムでした。『ボレロ』はほぼ真正面の席、しかも最初、群舞にライトが当たるまでオペラグラスでギエムをアップで見ていたので、こちらも濃密な鑑賞体験でした。見るたびに受ける印象が異なるこの演目。今回のラストは、生まれ変わるため、炎の中に飛び込む火の鳥を思いました。その炎に到達するのも、飛び込むのも、常人には見守るしかできないことですが、オペラグラスで見た冒頭のギエムは、振り付けは淡々としているのに顔は壮絶で、ああ、こんなにしてまで踊っているんだ、と胸に迫るものがありました。

さて、次はほとんどのギエム公演を見てきた東京文化会館での舞台です。『ボレロ』はなく、トリはAdieuからByeにタイトルの変わったエッツ作品。楽しみだけど、見納めでもあり、さみしくもあり。