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国政選挙は新聞社の「まつり」

こんにちは、クリスマスまで、あと残り一週間になりましたね。わたし・Mmcは新聞校閲の仕事をしています。このエントリは編集者アドベントカレンダーの19日目です。

「編集とライティングにアレコレまつわる」アドベントカレンダーということなので、校正・校閲専門の自分が参加してもよいものだろうかと、モーリ(id:mohri)さんに「校正とか校閲は需要ありますか?」と聞いてみたところ、「もちろんです!」とのことだったので参加してみました。

けど、「校正とか校閲に関するなんらかについて」と当初は名乗りをあげたものの、校正のやり方は日本エディタースクールの教科書のほうがだんぜん読みごたえがあるだろうし、新聞校閲で冷や汗が流れた内容でおもしろいものは「業務上知り得た秘密」にそうとう関わる。さて何を書こうか。アドベントカレンダーだし、クリスマスだし、なにか気持ちの浮き立つような……。

そうだ、浮足立つようなことといえば、今年は新聞社の「まつり」があったのだった! というわけて本エントリは箸休め的な軽い読み物としてどうぞ。

実例校正教室

実例校正教室

 

国政選挙となると、新聞社は大騒ぎである。新聞社大手2社では、国政選挙を「まつり」と呼ぶ。で、その名にふさわしくというかなんというか、なんらかの脳内物質が出てはっちゃけるおっさん社員というのが一定数いたりする。というわけで、今回は新聞校閲の立場から、「業務上知り得た秘密」に抵触しない程度に、この「まつり」時期の新聞社の模様をお伝えしようと思う。

新聞社でも、朝刊の校閲担当と、編成(雑誌などの編集にあたる)担当の朝は遅い。というか社によって異なるが、出勤は午後になってから、退勤はおおむね終電間際、早くて21~22時というのがレギュラーのスケジュールだ。朝型人間には向かない職場ともいえるが、印刷と配達という物理的な制約があるので、めったに残業がないという利点もある。

これが「まつり」となると、投開票日当日に作成する紙面の打ち合わせのために早出出勤をする必要が出てくる。たとえば、通常15時出社のところ、11時半に出社。これは9時出社の人間が早朝5時半に出勤してくるようなもので、生活サイクル的にそうとうキツい。打ち合わせの後に通常の業務に入るとなると、ほぼ12時間勤務となる。

そして「まつり」当日は逆に出社時間がやや遅い17時となり、逆に退勤は最長で丑三つ時などになる。これまでわたしが経験した「まつり」では、解散から投票日まで一ヶ月足らずというような過密スケジュールはなかったので、この事前打ち合わせと当日の生活サイクルの変化の間はある程度、日にちが開いていたが、2017年の衆院選はそうもいかなかった。一週間のあいだに早出と遅出がやってくるのである。アラフィフになっても長時間睡眠が必要な身にはつらいよ、トホホ。

なお、こうしたイレギュラーな打ち合わせのほかに、やっておく下準備がある。投開票日当日に自分が担当する県の候補者について目に通しておくことだ。公示日の紙面やその作成に使用した資料を読み込むことで、通常は投開票日当日を余裕を持って迎えることができる。余裕があれば過去の当該県の国政選挙での党別得票傾向などを読み、保守寄りだとか、いや県全体ではそうだけど、この選挙区に限っては毛色が違う、などという傾向をつかむことも可能だ。

だが、2017年の衆院選は、やれ希望だ民進分裂だ立憲民主党旗揚げだで、公示日までの候補者の政党の移り変わりと、それに伴う支持団体離れなどもあり、過去の傾向が役に立たなそうな県もあったりした。

投開票日は票が伸びていくのを見守るのが主な仕事のようなもの。どの県の、どの候補者に対しても、勝った場合と負けた場合の予定稿が記者によって前日までに作られており、当日は得票数と投票率を入れ込めば、ほぼそのまま使えるようになっている。だが、過去の傾向がそのまま当てはまらないのでは、と思われる県だと、なかなか心穏やかではいられない。

さて新聞社といえば、ある程度以上の社員は新卒で入社してきている。採用基準は、取材回りができることを考慮して体力のありそうな、かつ、偏差値のあまり低くないと思われる大学からというのがほとんどだと思われる。少し脱線するが、驚くなかれ、新聞社は新卒社員にさほど、というかほとんど国語力や文章力を期待していない。大学入試や入社試験の小論文が書けたならそれでOK、ということらしい。

というのは以前に『新しい文章力の教室』という本を上司に貸したところ、返却される際に「うちの会社も新入社員にこういうの教えればいいのにネ」と言われてびっくり仰天、聞いてみると、記者職として新卒を採っても、集中的なライティング講座などは行われないとのことなのだ。

つまり、新卒の新人新聞記者にもとめられるのは、一に「体力」、二に「根性」、三、四がなくて五に「一般常識」くらいのものであって、真面目にマスコミで勧善懲悪・社会正義を実現するための記事を書きたいなどと志望して、学部生や院生時代に日本エディタースクールなどの予備校に通って文章力を身に付けても、体力と根性がないと「みなされれば」入社できない、もしくは不利なのだとか。

このような基準で採用されてきた方々の中には「まつり」となるとなんだかやけに楽しげというかはしゃぎ始める人がいる。その様子はまさにお祭りの時の町内会のテントの中で「お弁当届いた? 配らなきゃ配らなきゃ」「お茶は?」「御神酒は?」と軽くコーフンして小走りになっているおっさんそのもの。

で、新聞社の「まつり」もお弁当が配られる。今までのところ記事校閲として籍をおいた大手2社ともに、お弁当と夜食のおにぎり2個にペットボトルのお茶2本が支給された。なお、現在所属する社の校閲の場合、そのほかにお菓子の差し入れが毎回、すごい。ホームパイとかキットカットのファミリーパックなど、仕事をしながら片手で食べられるもの、つまりアルフォート、チーズおかき、どら焼き、柿の種小分けパック、のど飴各種その他その他、さまざまなお菓子があふれかえる。

さて、お弁当やおにぎりが届いた際、人数分あることはわかっているので、いま取りかかっている仕事を仕上げてから取りに行こうと思っていても、「まつり」モードに入ってしまったおっさん社員が、「ほら、弁当早く取りに行かないと!」などと急かしに来るのもウザい。おにぎりが届くと「おにぎりが届きましたよぉー! お茶は1人2本でーす!」とか呼ばわっているのもウザい。だいたい語尾が「よぉー」とか言って許されるのは、メイド服の女の子か舞台上の歌舞伎役者もしくは和楽器奏者ぐらいである。

このように「まつり」でコーフンして、なにかと浮き足立って、すでに告げられたお弁当到着を、わざわざふれて回ったりもするおっさん社員の心理はどういうものなのだろうか。他社他媒体より抜きん出て当確を早く確実に出したい、という競争心からのコーフン状態なのだろうか。わたしなどは気分の切り替えが下手で、平静な状態でないと校閲作業ができないのだが、実作業をするおっさん社員ではしゃいだ気分になるひとは、よくいつも以上に慌ただしくなる「まつり」で仕事をこなせるなあと感心してしまう。

起きる頻度といい、いろんな点で「まつり」本来の意味や機能に近く、違いは酒と死人が出ないことくらいでは、というこの国政選挙での新聞社の「まつり」。こういう『うる星やつらビューティフル・ドリーマー』での文化祭前日のような、そこの構成員一丸となってのにぎわいは、アラフィフのわたしも理解はできるが、アラフォーより下の世代、しかも職人的な仕事の校閲にはもしかして理解不能かもしれない。けっこう若い人も多くなってきた当社の校閲で、この「まつり」に沸き立つおっさんたちは、どのような目で見られるのだろうか。最悪の場合、「あのおじさん、なにイキってんの?」ということにもなりかねない。

さて、得票数が確定してもしなくても、紙に印刷して販売店が配る、という物理的な制約上、校了時間は厳密に守られる。それから編成と校閲合わせて、住まいが同じ地域や方面ごとに2~3人ずつまとめられてタクシーで帰宅するのだが、たまにハズレ、というか思わぬ落とし穴があったりもする。助手席に座った若い男子が、気分転換のためなのか、人工的でアメリカンな香りの強いガムを噛み始めたときには、降りるまで吐き気をこらえていたものだ。

そんなタクシー帰宅翌日、たいていの社員はまた定時に出社する。なお、「まつり」ではしゃぐおっさん社員は現役時代、校了後そのまま飲みに行き、あるいは社内で呑み始め、帰宅せずに出社とか翌日勤務とかしていたそうである。でもって、現在もそれをやるおっさん社員もいる。わたし自身は新聞校閲をしている理由が、出版・編集関係の仕事の中では基本的に残業がないという点なので、こうしたいささか体力自慢的なふるまいには感心しないのだが、そういう話を聞くと、新聞社では新卒採用の際、体力があるかどうかでまずハネられる、というのも腑に落ちるのである。

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……つらつらと書いてみたところ、これってとくに新聞校閲特有の話ってわけでもないんじゃ? という気もしてきたので、私的校正校閲あるあるをお口直し的に列記してさらに単なる読み物的なエントリとしてお茶を濁すこととします。

  • 世間の誤字脱字が目に付いてしまう

車内吊りの広告、劇場の今日の配役表などなど、とにかく目に付く、そしてツッコミを入れずにはいられない。

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ベジャール・バレエ団公演『魔笛』の配役表。

これが信頼している出版社のもので起こると、悲しくなります。最近では紙媒体だと本の雑誌社の『本の雑誌おじさん三人組が行く! (別冊本の雑誌18)』のこちら。

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伊丹十三伊丹一三に……。


さいきんのウェブ媒体ではこちら

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疑似→擬態。入れられる→淹れられる、煎れられる。
  •  誤字脱字の多すぎる本は返金してほしいと強く思う

読み始めた本に誤字脱字が連続して出てくると、どれだけあるのか気になって付箋を付け始めてしまい、それがあまりに膨大でライオンのたてがみのようになってしまうと、仕事をしている気分を味あわされた気にもなり、きちんとした日本語に整形せずに出版されたものを読まされた憤りもあり、乱丁落丁として返金を求めたくなります。

なお、今まででいちばんスゴかったのはこちらに書いた&たてがみ状態の写真を載せた『オオカミ、群れに戻る: オオカミを育て、野生に戻した女性の物語』。

mmc.hateblo.jp

  • 空目が多くなる

これは先輩に「いや、ない。あなただけ」と言われたのですが、「テキストには間違いがあるに違いない!」と思って記事を読むのが習慣になっているせいか、仕事を離れてテキストを読んでいるときに、ありもしない間違いを空目してしまいます。

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「虫のいいところは、なるべく考えないところ」と誤読、松下幸之助養老孟司みたいなことを言っている……、と思った。