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クリスマスに寄せて

菩提心がなければ功徳は積めないし、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、無に等しい。

 

ダライ・ラマ14世法王猊下の、「古典的な宗教はみな、愛と思いやりについて説いている」、という言葉を思い出す今日。なお、上記の言葉は最初は仏教からの、あとはキリスト教の聖書からの抜粋です。

ところで法王猊下菩提心の大切さを説くとともに、「仏教に限らず懐疑を持って対象を検証し、信ずるに値するとわかってから実行しなさい」という仏陀の言葉を引用される。

この言葉を知る前から、わたしは自身の家庭の宗教であるカトリックが、ほんとうに唯一、信仰するに値する宗教なのかを知りたくて、様々な古典宗教について読み漁った。その結果、「どの宗教も、その文化に応じて言葉や表現が異なるだけで、基本的には人間社会における基本的な戒律と、愛と思いやりを説いている」という結論に至った。その中で、仏教、とくに原始仏教を色濃く残すチベット仏教の思想に合理性を感じ、救われた気持ちになることが多々あった。

ただ、わたしは父母ともにカトリック家庭出身のため、幼少期に刷り込まれたモラルはキリスト教に深く根差すものであり、それを漂白するつもりも、チベット仏教に改宗するつもりもとくにない。ただ、この一連の作業により、宗教によって他者を色付けして見ることのアホらしさを学ぶことはできたと思う。

 

さて、法王猊下は宗教への検証の重要性と同時に、「信仰するのであれば、あなた自身の地域の宗教がふさわしい」とも言われる。これはたとえばわたしであれば、育った家庭内で齟齬を起さないためには当てはまることだろう。しかし、世界には自身の地域の宗教のためにたいへんな人権侵害に遭っているひとがさまざまいる。その一つが、インドのカースト制度に苦しめられている人々だ。

そして、あまり知られていないが、そんな彼らを救うためにインドで仏教改宗運動をしている日本人僧侶、佐々井秀嶺師がいる。その活動による暗殺未遂3回というすさまじさだ。

www.jprime.jp

toyokeizai.net

最近、破天荒という言葉が単に型破りの意味で使われているのをよく見かける。しかし、破天荒というのは本来はそういうことじゃない。佐々井秀嶺師の為してきたことこそが、それに値する。同時にこれは、対象を検証して実行するに値すると納得した結果の人生なのだと思う。

 

かつて、ナザレの村に生まれた青年も、ユダヤ教の理不尽な戒律に苦しむ人々のこころを解放しようと神の愛を説いて回り、最終的に公開処刑された。

キリスト教文化センター │京都 同志社大学

今日は、世界には戒律を超えて神の愛があると説き、その愛を人と人の間に在らしめることが地上を神の世にする、と考えたその人が生まれたことを記念する日。

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みなさんが迷うとき、適切な言葉に出会え、検証と納得ができますよう、様々な言葉に助けられてきた者として願います。メリークリスマス!