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『天使にショパンの歌声を』@YEBISU GARDEN CINEMA

日本版タイトルがこっぱずかしいのと『天使にラブ・ソングを…』の劣化コピーなので注目していなかったのですが、1960年代のカナダにおける学校教育の政教分離がモチーフと知って見ることに。

日本版タイトルからは予想できないほど、骨太でシビアな内容でした。なお、原題は『LA PASSION D'AUGUSTINE』。AUGUSTINEはこの女子校の校長なので、このPASSIONは校長の音楽教育への情熱と、「(イエス・キリストの)受難」を意味するPASSIONも匂わせているのかもしれません。寄宿制のカトリックの女子校が舞台ですが、ロリータ趣味ではない撮り方で、ぼんやりした男子は気づかないかもしれない、あの年代の女子の醒めた感じやいじわるなところ、強情なところや正義感が描かれています。教師としてのシスターの厳しさや優しさも懐かしい。

そこはまあ、メインテーマではない(と思う)のですが、ピアノ演奏の演出が秀逸!
学生にしては上手いよね、とか、テクニックとして弾けてはいるけどそれだけじゃない? とか、これは荒削りだけどすごく伸びそう、というのがそれぞれの役によって弾き分けられてる!!!
音楽もの、コンクールもののフィクションで、ここまできっちりピアノ演奏の音色の演出がされていた映画って、あったかなあと思うほど。

そしてカナダの与党の方針に加え、1962年のバチカン公会議での現代化路線を受けての、いまだにわたしが苦手な聖歌のフォークロック化もあって、久々にあの「うげぇ、勘弁してよ」感を味わったり。ていうかあれ、世界的な傾向たったのね。映画が女子校内聖堂でのラテン語ミサと、女子とシスターたちのアヴェ・ヴェルム・コルプス(モーツァルト)で始まるので、よけいに台無し感があります。

だから、そのあとの学校教育の世俗化がよけいにさみしい。映画内では女子校の経営母体は聖心(サクレ・クール)のようだったけれど、カナダでの実際もそうだったのかなあ。なにもかも平坦にすることが平等だとわたしは思えないので、宗教経営の私立校がこうした政治の波に洗われるのは納得できないのです。