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ドッペルゲンガーの迷惑と困惑

 ドッペルゲンガーはドイツ語では二重に歩く者の意味だという。見たら死ぬとか狂うとか周囲の人間と会話しないとかいう特徴があるらしい。

 見たら死ぬ説に関しては、リンカーンの事例がよく引かれるが、これはドッペルゲンガーの出現ではなく、自身の葬儀の夢である。暗殺直前に、夢の中で人々がすすり泣く声で目覚めたリンカーンが部屋を見渡すと棺桶があり、大勢の人々が泣いている。リンカーンが「誰が死んだのか」と尋ねると、「大統領が殺されたのです」と言われたというのだ。その夢の中でリンカーンは棺桶の中の自分を覗いて確かめてはいない。これをドッペルゲンガーというには無理があるのではないか。しかし、北米大陸にいる人間どもで、奴隷解放南北戦争なんていう映画『アウトレイジ』さながらの政界にいたら、そんな夢はしょっちゅう見ていそうなものだがリンカーン

 話が逸れた。見たら狂う説に関しては、日本では芥川龍之介が有名だ。しかし実は自殺の直前に見ているわけではなく、作家同士の対談でネタにし、少なくとも二つの作品のネタにもしている。実際に見ていたとしても、それは創作の限界とか締切とかに追われてのもので、いわばジャンプでの『ストップ!!ひばりくん』連載終盤にネタが尽きた江口寿史の見た白いワニと同類のものだったのではないだろうか。

 周囲の人間と会話しない、という点に関しては、わたしの経験したドッペルゲンガーがそれに当たると思われる。わたしはこれまでおおよそ次のようなドッペルゲンガー体験に遭っている。時系列順にあげていくと次の通りだ。

・幼稚園時代、近所の家の盆栽に生っていた実を黙々と、しかしねこそぎむしったとその家の主婦に言われる。が、その時間は自宅で虐待されながらピアノの練習をさせられていたし、むしった記憶もない。その主婦が見たというわたしの服装はよそゆきの上等なもので、自宅でピアノの練習をするときに着るようなものではない。にもかかわらず、帰宅後親にぶっ叩かれた。理不尽。
・中学生の頃、塾にいる時間に「男の車に乗り込んで去っていった、弟も共に見ていたから間違いない。声をかけたがそのまま行ってしまった」と、親に叱責される。車持ちのオトコなぞいなかったし、そんなものは塾の先生に照会すればすぐわかるのに、なぜかそれをせず非難され続ける。パトラッシュ、ぼくもう疲れたよ……。
・高校時代、登校したところ、「昨日の休み、信号待ちで向かい側から手を振り続けたのになんで無視するの」と、学友になじられる。そのとき乗っていたという自転車についても聞かれるが、どう考えても自分の自転車ではない。っていうか無視したのがわたし本人であれば、盗難自転車か借りパク自転車に乗っていたことになる。それヤバいでしょ……。

 このころまでのドッペルゲンガーは、わたしを知る人にあっても会話しないものであった。そしてわたしの方ではこのあたりで、まだ見ぬドッペルゲンガーにかけられている迷惑に、沸々と怒りがたまり始める。だが郷里から東京の大学に進学すれば何とかなるのでは、とも思ったが、むしろドッペルゲンガーに接近することになった。

・大学の別学科に進学した高校の同級生の、学内二人展のはがきを見て驚く。二人展の相手が、自分でもぎょっとするほど似ていたのだ。はがきには同級生と二人展の相手が並んだ顔のアップが移っており、紙面の左半分には同級生の顔の左半分が、紙面の右半分には二人展の相手の顔の右半分が写っていた。で、面白いので何度か会おうとしたのだが、大学の敷地は広いといえども、学科の建物が隣だというのになぜか会えずじまい。しかし二人展をやっている学友なのだから、この二人は当然、会話はしていたであろう。
・おそらくこの隣の学科のドッペルゲンガーがらみだと思われるが、大学近くのデパートのトイレや通学電車で無視したとかなんとか、またしても謂れのない批難にさらされる。
・大学の友人に相談するともなく話したところ、「変なこと言うけどさ、お父さんが浮気してできた子がいたりとか、しない?」と言われ、そうなるとドッペルゲンガーというより戸籍上の実子に復讐をもくろむ誰かがいるのでは、という考えにまで一時は至ってしまい、ドッペルゲンガーへの印象は、迷惑この上ないものになる。

 大学卒業後はしばらくこの迷惑なドッペルゲンガー状況は起こらなかったのだが、2年前にまた起こった。会社近くで、どこにでもいそうな人の好いサラリーマンといったていの見知らぬ人に、やけにフレンドリーにニコニコと手を振られ、「お久しぶりです」と言われるが、まったく知らない人、ということがあったのだ。自慢じゃないが他人の名前を覚えるのが苦手(というかあまり覚える気がない)なので、「どこかでお仕事ご一緒していたらすみません、わたくし校正をやっているMmc(仮名)と申しますが」と申し出たところ、向こうは気まずそうに「あ、違いました......」と去って行った。怖いというより迷惑かつ不可解である。

 また、先日、ツイッターで「#夏だしフォロワーさんの怖い話教えてください」タグでドッペルゲンガーについて呟いたところ、翌日、都内にいるドッペルゲンガーの名字がわかった。一人でごはんを食べていたら、「ミズノさん」と、歳上の女性に声をかけられたのだ。名付けというのは不思議なもので、それまで迷惑そのものだった、いわば生死にかかわらない妖怪現象のようなドッペルゲンガーの印象が、「ミズノさん」という名を得て変わった。ミズノさんも街角でわたしに間違われて困ってますか? と、なぜか親近感を覚えたのだ。ドッペルゲンガー現象がミズノさんの名を得ることにより、わたしに似た人も同じくらい不可解な目に遭っているかもと思うと、変な笑いが漏れてくるようになった。それはどこか、モラハラ上司のモラハラの証拠を集め始めたら、モラハラされるごとに「これでまた一つ」とカウントしているようなねじれた感覚に似ている気もするのだが。

 しかしもしかしたら事態はもっと複雑かもしれない。というのは、「ミズノさん」に間違われたときは、10年以上変えていなかったロングヘアの髪形をばっさりとショートに変えたばかりで、知人でさえ「違う人かと思った!」というような外見だったのだ。となると、ロングヘアだったMmc(大学の隣の学科のドッペルゲンガーは髪の長さだけでなく、当時かけていたパーマの種類も似通っていた)のドッペルゲンガーと、ショートヘアのMmc(なお幼少時から高校三年まではショートヘアだった)のドッペルゲンガーがおり、ショートヘアのドッペルゲンガーが「ミズノさん」だとすると、ロングヘアのドッペルゲンガーはまた別にいるかもしれないのである。つまり、

・ロングヘアのMmc(A)
・ロングヘアのMmcのドッペルゲンガー(A')
・ショートヘアのMmc(B)
・ショートヘアのMmcのドッペルゲンガー(B')

の、少なくとも4人、外見に相似性を持つ人間がおり、ときどき互いに間違えられ(たとえばA'がB'に見間違われたあとで、A'が「あれ? 髪切ったんじゃなかったの? 昨日見かけたときショートになっててびっくりしたんだけど」とか言われたりして)「不可解......」とか「迷惑!」とか、憤懣やるかたない気持ちになっているかもしれない。ていうか、わたしだけがもやもやしているのは業腹なので、ぜひそうあってほしい。

 なおモーパッサンドッペルゲンガーは、彼が当時書いていた文章の続きを滔々としゃべり始め、モーパッサンはそれを書き留めたという。そういうドッペルゲンガーなら、わたしも会ってみたい。モーパッサンは狂死したそうだけれども。