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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』@岩波ホール

岩波ホールでは9/15までなので、あわてて見に行く。
詩人として、あるいは才ある喪女としてあの時代に生きることの困難さはじゅうぶん、描かれていると思う。けれど、元英米文学専攻としては、エミリ・ディキンスンについての史実として知られていることと違うことがいろいろと起こるので、戸惑った。特に映画後半。
ディキンスンには兄嫁との同性愛説も囁かれてきたけれど、わたしはむしろ、彼女の死後にその詩作を文芸評論家のヒギンスンと編集し、詩集として出版するために原稿整理を行ったトッド夫人との間に、プラトニックで濃い交情があったのでは、と妄想しているので、そのトッド夫人が兄の不倫相手として出現し、かつディキンスンからは詩作を分かち合うような価値のない女として捉えられている描写に混乱した。
兄嫁についても、そもそもはディキンスンの親友だったのが兄と結婚したのが、映画では兄との結婚によって知り合ったように描かれているし、ツイッターで「この映画にディキンスンはいない」と、失望を吐露したひとがいるのも、だからまあ、わかる。
真性喪女に生まれ付くということは上流階級の出であっても救いにはならない、という非常に残酷な現実が、上記のフィクションを突き抜けて、ただただ迫ってくる。むしろ、鋭い才能があり、それを詩作のかたちにできる余裕のある生活だからこそ、喪女としてさらに自分で自分を追い詰めてしまったのではないかと。
ディキンスンのような才能はないのに、自分の中にも加齢によりあのように偏屈になりうる喪女性・喪男性はある、という人間にとっては厳しい一本。