神保町の古書店街
ツイッターでこんなツイートを見かけた。
半藤一利さんによれば、神保町にある古書店はほとんどが長岡藩出身者が作ったとのこと。虐げられた結果、文化を一つ作ったというのもすごい話だなあ。
— 千葉望 (@cnozomi) 2018年1月28日
いま、鹿島茂氏の『神田神保町書肆街考』という、神保町古書店街の成り立ちを膨大な一次資料から追う本を読んでいるのだが、そんなこと書いてあったっけ? と遡ってみた。
神田神保町書肆街考: 世界遺産的“本の街”の誕生から現在まで (単行本)
- 作者: 鹿島茂
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2017/02/23
- メディア: 単行本
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博文館は古書店というより最初は出版社、創業は明治20年6月。冨山房は土佐藩出身者が明治19年3月創業。有斐閣は忍藩(埼玉県行田市)出身者が明治10年創業。ナカニシヤ(前掲書では中西屋書店。英米児童文学専攻者としては、ここは子どもの本シリーズなどのナカニシヤなのだ)は岩村藩(岐阜県山県市)出身者が明治14年9月開業と、博文館より早い開業の店は複数ある。
こういうことは気になってしまうたちなので、見知らぬ方だがリプライを入れた。
いつ頃のことだろうか。鹿島茂氏の『神田神保町書肆街考』を読んでいるけど、冨山房は土佐藩出身者が有斐閣は忍藩(埼玉県行田市)出身者が、中西屋は岩村藩(岐阜県山県市)出身者創業、明治最大の出版社・博文館を作ったのは長岡藩の材木商の次男とある。 https://t.co/LvohBjyvxj
— Mmc (@chevre) 2018年1月28日
お返事によると
↓ こういう引用RTをいただきました。半藤さんの東洋経済での発言が私のTweetの出どころなのですが、さて、どんなものでしょうねえ。物語としては長岡藩出身者多数派説が楽しいんだけれども(笑)。
— 千葉望 (@cnozomi) 2018年1月28日
とのことなので、当該の記事を読んでみた。
「長岡出身で博文館を創業した大橋佐平という人がいちばん初めに古本屋を開いて成功したのですが、当時、いちばん大きい店でした。」とある。
博文館は暖簾分けして東京堂を作るくらいだから、いちばん大きい店はそうだろうけれど、「いちばん初めに」は前述のとおり、あたらないのではないだろうか。
まあ、出版社と古書店の違いか‥‥?(我ながらあいまいw)
— 千葉望 (@cnozomi) 2018年1月28日
これについても前掲書に詳しいが、冨山房、有斐閣など神保町の出版社は、そのほとんどが最初は古書店として出発し、のちに新刊書店、古書店、出版社と分岐していった経緯があるようだ。
しかしまあ、『神田神保町書肆街考』を読んでいると早矢仕有的が活躍しすぎで「またお前か!」って気持ちになってくる。読んでいるだけでそうなのだから、当時は界隈のどこかでは「あいつ、やり手すぎてウザい!」と言われていたのではなかろうか。