ハンブルク・バレエ団『ニジンスキー』@東京文化会館
2月10日のマチネで見ました。来ているはずのお友達を探そうとしたものの、すんごい人出でお互い見つけられず。それだけ観客の期待も凄かったと思うのですが、それにきっちり応えた作品だったと思います。
プロローグ、登場したニジンスキー役のアレクサンドル・リアブコが、白い衣を脱ぎ、黒い作務衣のような衣装で、ニジンスキーが人前で踊った最後の公演とされる「神との結婚」を、舞台上のピアノの生演奏と同時に踊り始める、その腕の一振りで戦慄が走りました。そして、『椿姫』も配役変更前の、この人のアルマンで見たかったなあとしみじみ思う間もなく、舞台に引き込まれ、いえ引き摺り込まれました。
前半の、『シェエラザード』の調べにのせてのディアギレフとニジンスキー、そして二人の生み出した薔薇の精や金の奴隷などなどのバレエ・キャラクター交えての絡みは、バレエ好きのBL趣味者にはたまらないものがありました。シルクハットの紳士7人が、薔薇の精にうっとりと跪いて、乙女のように横座りするところも素晴らしい。
後半は、ショスタコーヴィッチの『交響曲第11番』とともに戦争の表現としてあらわれる大勢の兵士たちに、薔薇の精、金の奴隷、牧神、ペトリューシカなどのニジンスキーの当たり役たちが軍服を引っ掛けた者たちが交ざっている意味を考えてしまいます。
狂っているのは自分ではない、第一次大戦に向かう世界が狂っている、とニジンスキーが思うとき、しかし自分の中にも狂った世界に通じるものがあるのではないかという懐疑も同時にあって、それが彼をさらに追い詰め、踊れなくしたのでは。
ダンサーであり振付家でもあるニジンスキーにとっては、踊ることは世界とかかわること。もし、踊ることで、狂った世界と自分との共通点が露呈したら、という不安があれば、失語症のように、踊ることができなくなるでしょう。
戦争がなければニジンスキーは狂わず、その舞踊人生が10年で終わらなかったかどうかはわからないけれども、それは純粋すぎるとはいえ、あまりにも真っ当な不安だと思うのです。
それを一言で、狂った、と言ってもいいものだろうか?
そんなことを終演後、夕食の予約をした湯島に向かう不忍池をゆっくり歩きながら考えていました。
写真は先月入院していた病棟方面を不忍池越しに。病棟から不忍池のほとりに建つのが見えて、だいぶ目障りだったアパホテル前から撮影。
#ハンブルクバレエ 団日本公演「ニジンスキー」、先ほど初日が終了しました!作品の放つ圧倒的な力と、バレエ団ダンサー全員の大熱演、それに客席の集中力が文字通り一体となった感動的な舞台。本日も客席総立ちのスタンディングオベーションが長く続きました。#hbontour #hbjapan18 pic.twitter.com/qCSytXzvsJ
— NBSバレエ(日本舞台芸術振興会) (@NBS_ballet) 2018年2月10日
ところで開幕してしばらくして、円状にライトが並んだ照明装置(上のツイートの画像で、向かって真ん中より右、赤いドレスの女性の上にある)から「ぱん」という音がして、「後半の戦争シーンの小道具が暴発?」と思ったら、一部で白煙が上がったのには緊張しました。ラストには何事もなかったかのように全部、点灯していたけれど。
終演後は湯島のパパンで友だち二人を呼び出していろいろ食べました。夫婦二人だと、ここで攻略できる皿数は四種くらいなのですが、四人で挑むとものによってはかなり一皿の量の多いこの店でも、これこのとおり。