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妹なんかじゃない 《連作短編集「デッドロックのはずれ方」2-3》

 おっさんがかあさんといつから付き合い始めたのかは、よくわからない。もともと大工として作り付けの家具を直しにきたらしいが、かあさんと籍を入れるまでは、家に泊まっていったことが律儀にも一度もなかったからかもしれない。

 

 かあさんは俺を連れて実家を出てから、家賃を払うのが面倒という理由で、造りはしっかりしてはいるけど、住むにはあちこち手直しが必要な一軒家をうっかり買ってしまい、そのあちこちを直す職人さんに来てもらっているうちに、その中の常連さんの一人のおっさんと付き合うことになったらしい。だから、俺の中ではおっさんは長らく、「よく家を直しに来るおっさんのうちの一人」に過ぎなかった。それが、俺がミニカーを側溝に落としてしまった日に変わった。

 

 そのミニカーは、もはや顔も覚えていないとうさんがくれたものだったらしい。とうさんが死んでからと、ばあちゃんちから出るときと、二度の引越しでとうさんからの贈り物を俺はぽろぽろと失くしていた。ミニカーは残り少ない一つだった。それを、家の前の道路で遊んでいて、俺は側溝に落としてしまったのだ。あ、と思ったのと、ミニカーが消えた側溝のミゾを眺めていたのは覚えている。だけど、そこになにかセンチメンタルな感情があったかというと、そういうものはなかった。それを、いくつめかの家の修繕に来ていたおっさんは目撃したらしい。

 

「泣くわけでもなく、諦めきった目で側溝を見ているのが、子どもらしくなくて、かわいそうだった」

 

 おっさんはずっとあとになって、そう言った。そして、おまえのかあさんと同じだと思ったよ、と言ったのだ。おっさんは愛情深い人なんだろう、俺だったらそんな女、外見とかが好みでも、まず避けて通るし、その子どもだけでもそんなだったら、そこで退却すると思う。でも、おっさんはそうじゃなかった。かあさんにも注いでいた愛情を、俺にも注ぐことにしたのだ。

 

 で、おっさんはそのとき、雨どいを直すという大仕事を終えてうちから帰るところだったのが、じっと側溝を見て固まっている俺を不審がって、声をかけてきた。

 

「ぼうず、どうした?」

「……くるま、おちちゃった」

 

 俺がそう言って側溝を指差すと、おっさんは道具袋を道端に下ろして、側溝の蓋をはずした。俺は、側溝のコンクリートの蓋というものは道路わきのコンクリートブロック塀の続きで、外れるものだという概念がなかったので、そのとき、かなりびっくりしたのを覚えている。

 

 だが、もっとびっくりしたのはその蓋をはずして現れた穴に、おっさんが入って行ったことだった。幼児の俺は、そういう物理的な地下世界が道路の下に広がっているということを知らなかったのだ。ミニカーを側溝に落とした、ということに加えて、側溝の蓋が外れる、ということ、そしてその蓋の下にはオトナが入れる空間があるということに、次々に驚いて、俺は相変わらず固まったままだった。

 

 俺が固まってるあいだに、おっさんは難なくミニカーを見つけて穴から上がって来た。側溝の中は、木枯らし続きで水はなかったものの、吹き込んだ枯葉や、枯葉屑でいっぱいだったらしく、穴から出てきたおっさんの姿は、だいぶひどいことになっていたが、おっさんはかまわず側溝の蓋を閉め、適当に枯葉をはたいて道具袋を持ち上げ、帰ろうとした。そこに、かあさんが帰ってきた。

 

 そのまま帰すわけにはいきませんから、というかあさんの強引な言い切りで、おっさんは作業服を洗濯され、その間に俺とミニカーと風呂に入った。それからしばらくして、おっさんとかあさんは入籍した。

 

■ ■ ■

 

 おっさんが戸籍上の俺の養父になってから、かあさんは俺におっさんを「とうさん」と呼ばせようとしたが、おっさんは「おっさんのままでいい」と言って、かあさんを憤慨させた。俺にとってはおっさんはおっさんだったので、おっさんを「とうさん」と呼べ、というかあさんの命令は、意味がわからなかったから、おっさんの言うことはもっともだと思っていた。

 

 おっさんは、オトナを相手にするように、遠慮しながら俺をかわいがってくれた。オトナに甘える方法を忘れかけていた俺には、その距離感はちょうどいいリハビリになった。たぶん、「とうさんと呼べ」と言ったり、子どもは大人に甘えるのが当然と、距離を一気に縮めるような養父だったら、俺はどうしていいかわからなくて殻に篭るか、あるいはそれらしい演技でやりすごすことになったと思う。そういう意味で、おっさんと俺は外から見たら、フツーのオトナと子どもじゃなかったかもしれないが、相性はよかった。

 

 そして、いまでも俺とおっさんは適度に距離を保って同居していて、つまり一緒に住むオトナに甘える、ということがよくわからないまま、俺は素直にオトナに甘えられる年齢を過ぎてしまった。結局のところ、顔も覚えていないとうさんと、いまではたまに会うばあちゃんとじいちゃんの老夫婦に、保育園に入る前に甘えたのが最後なのだ。西野母子とは大違いである。

 

 女子と男子とでは違うのか? いや、島津の姉ちゃんも西野母子には引くと、島津は言っていた。ミスドの店内も若干、引いてたし。あんなふうに甘えるっていうのがヘンだと思うのは、やっぱり俺だけじゃないよな?

 

 ラノベ棚からマンガ棚への往復何回目かで、俺はようやく落ち着いて、でも買うはずのなにかは思い出せず、家に帰った。家では、おっさんが炊いているらしい豆ごはんの匂いがしていて、台所のシンクの三角コーナーには、カラになった豆のさやがてんこもりになっていた。

 

 

 

mmc.hateblo.jp

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