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妹なんかじゃない 《連作短編集「デッドロックのはずれ方」2-4》

 今日の午後、学校はにぎやかだ。グラウンドで駆け回るサッカー部員たちがあげる声が窓から入ってくる。体育館からはバレー部とバスケ部の試合が交互にセットされ、売店にパンを買いに脇を通ると、シューズが床を鳴らす音がキュッキュと響いてくる。

 東校舎では吹奏楽部の演奏に、西校舎では合唱部の歌声と、ふだんの練習に見せかけた発表の音がする。文化部はそれぞれの部室で、発表の成果や作成した部誌の展示をして人待ち顔だ。

 

 今日は、うちの市で決まっている高校見学デーなのだ。市内の中学生たちは昼休みが終わるとグループで、単独で、あるいはペアでお目当ての高校を見学に来る。スポーツ推薦をねらっている子はやはり設備が気になるだろうし、特に高校に明確な目標がなくて、大学までの一里塚と考えている子も、校内暴力の影のない、雰囲気のいい学校を選びたいと思っている。

 そんなわけで、ゴールデンウィーク後のある一日、市内の高校は午後だけミニ文化祭みたいになる。部活やってるやつはゴールデンウィークも返上で準備するのも珍しくないらしい。

 

 とはいえ部活に入っていないからといって、気楽に過ごせるわけでもない。そういうやつは校内で迷子になっている中学生の訪問者たちに気をつけて、希望の場所に案内する役が待っている。下校時にちゃんと校内にいたかどうかのチェックがあるだけだから、要領のいいやつは適当にバックレてたりもする。だが俺は、にぎやかな校内で授業もない、のんびりした空気の中、教室の廊下側の席でぼんやりしていた。

 渡り廊下のほうからは、同級生たちとは違う、子どもっぽい笑い声と、パタパタという内履きの足音が聞こえる。のどかだな、と思いながら、三時のオヤツを買いに俺は席を立った。

「あれ、どこ行くん」

「売店」

「あ、じゃあテトラのいちご牛乳、買ってきてくれん?」

 

 帰宅部ではないが、数学部の展示準備だけでバテていた佐野が、そう言って百円玉を放る。

「飲み物だけでいいんか?」

「おー」

 

 高校生にもなっていちご牛乳とか、アタマのいいやつはよくわからんな。俺はそうひとりごちながら、二階の教室から外階段を降り、体育館脇を通って売店に向かうことにする。階段を折りきったところで、上からきゃはは、という笑い声がするのに気付いた。四階の外階段に制服の中学生がいる。誰かと携帯で話しているようだ。

「クミ。もー、おそーい。きゃははは。吹奏楽部、モルダウの演奏終わっちゃったよ?」

 ……クミ?

(そういえば、西野久実も吹奏楽部だっけ)

 でも、クミなんてよくある名前だしな。見学に来ても俺には関係ないし、それにヘタにかかわるとあの手紙のヒステリー母が出てくるんだろうし。

 

 俺はミスドでの西野母子の様子を一瞬、思い出したが、売店で焼きソバパンを買っているあいだにそれは去っていった。売店の外に出て、自販のいちご牛乳を買う。最後の一つだった。こんな甘いもんが売り切れって、よくわからんな。

「あの、すみません、そのいちご牛乳、ゆずってもらえませんか」

 教室に帰ろうときびすを返した俺は、もう一度もとの方向に振り向いた。西野久実が、そこにいた。

 

■ ■ ■

 

「あの、わたしが飲むんじゃなくて、ともだちに頼まれて」

「ごめん、俺のも頼まれた分なんだわ。ともだちには売り切れてたって言って」

「……困ります」

 あれ、もしかしてこいつ、パシラれてんの? 俺は睨んでくる西野久実を見た。

「あー、じゃあ、わかった。俺が君のともだちに売り切れだって説明してやるからさ、それでどう?」

 

 自分が飲むのでもないいちご牛乳を、中学生の、それも女子に譲らないのは大人げないとは思ったが、なぜか俺はそこで引けなかった。たぶん、佐野は「売り切れてた」と言っても「あっそ」で済むはずだ。

 

「……じゃあ、お願いします」

 え、マジかよ。ここまで言えばあきらめて「売り切れてた」で済ませるかと思ったのに。まあ、しかたない。

「じゃあ、ともだちのとこに一緒に行こうか?」

「はい、お願いします」

「どこ見学に来たの?」

吹奏楽部です」

「じゃあ、四階だな」

 

 なんとなく、俺は外階段ではなく、校舎内を通るルートを選んでいた。

「きみ、名前、なんていうの?」

「西野です、西野久実です」

「クミちゃんか。中学でも吹奏楽やってんの?」

 なんで俺、わかりきってること聞いてるんだろう。そう思った矢先だった。

「吉田さん、わかりきったこと、聞かないでくれますか」

 西野久実がそれまでのややアニメ声というか、子どもっぽい声とは違う、低い声で言った。

 

■ ■ ■

 

「……なんで俺の名前」

「母に聞きました」

「……あー」

 

 こないだの、ショッピングセンターで一方的に睨みつけられた日かどうかはわからないが、とっくに俺の面は割れていたのだった。

「お母さんには俺に近づかないよう、言われてるんじゃないの?」

「そうですけど、いちご牛乳、たのまれたから」

「売り切れてたって言えば、俺にかかわる必要、なかったじゃん」

「吉田さんこそ、母の手紙、吉田さんのお父さんに届いてるんじゃないですか? いちご牛乳、ゆずってくれれば、それで終わりだったんじゃないですか」

 さっきまでののどかな放課後は、吹き飛んでいた。

 

「きみはきみのお母さんの言うこと聞いてればいいんじゃないの? でも俺はきみのお母さんの申し入れとか、聞く義理ないから。第一さ、自意識過剰なんじゃないの、あの手紙」

「自意識過剰って……」

「きみたち親子ってさ、正直、キモいよ。人前でレズかっていうくらいベタベタし」

  ぱん!

「うちの事情も知らないくせに、適当な難癖、つけないでください!」

 気付くと、俺に平手打ちした西野久実は、階段を駆け上がっていた。

 

■ ■ ■

 

「あんな妹、いなくてよかったよ」

 俺はつぶやきながら、叩かれた左頬にいちご牛乳を当ててみた。それは、すっかりぬるくなっていた。

 ぶよぶよしたテトラパックの表面から付いた水滴をシャツの袖でぬぐいながら、俺は教室に帰った。佐野は、釣り銭といっしょに渡したぬるいいちご牛乳を、特に文句もなく受け取って、飲みはじめた。

 

 

 

 

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