いえのなか 《連作短編集「デッドロックのはずれ方」4-2》
「おかえりなさい、吹奏楽部、どうだった?」
まだ、ローファーを脱ぎ終わらないうちにキッチンから出てきた母は、久実に近づいた。
「うん、楽しそうだったよ」
「おやつ、食べるでしょ?」
「あ、実佳たちと食べたから」
「……そう」
一気に母のテンションが下がるのを感じると同時に、久実は猛烈な眠気に襲われた。
「なんか、バス乗って高校行ったせいか、疲れちゃって。夕食まで寝てていい?」
「ああ、疲れちゃったのね、それじゃ寝る前におやつはだめよね、太っちゃうもの。お布団、干しておいたから気持ちいいわよ」
「うん、ありがとう」
どんどん押し寄せてくる眠気のなか、久実は二階に上がり、自分の部屋に入ると、制服を脱ぎ散らかしたままパジャマに着替え、布団に潜り込んだ。そして、枕の冷たさを頭全体で感じるのと同時に、スイッチが切れるように眠りに落ちていった。
■ ■ ■
宇宙空間に、浮島が浮かんでいる。小惑星ではなく、草地の上にバーバヤーガの家のような、一本足の木の上のログハウスが漂っている。そこになんとか上陸しようとあがいても、どうしても進めない。そのうち、後ろからローマ遺跡の柱がローラーのように回転して迫ってきて、自分の体がそこに巻き込まれて砕かれ始めるのを、久実は感じる。気付くと、ローラーの回転と同期して目覚ましが鳴っていた。眼は覚めたが、ひどく気分が悪かった。
(実佳、聞き流したらいいって言ってたけど、ふたりきりでそれは無理だよ……)
のろのろとパジャマから部屋着に着替えながら、帰り道の会話を思い出す。
(いい大学に入って、この町を離れるまでだし)
「あら起きられたのね。なんだかうなって寝てたわよ?」
いつのまにか母がドアの脇に立っていた。
「そう? なんか暑かったのかな」
「……それってお布団があったかすぎたって意味?」
「ちがうよー、なんか寒いかもって思ってくるまりすぎちゃって」
自分でも理由になっていない言い逃れだと久実は思う。母は、細く攣り上がりはじめた眼を元にもどして言った。
「お夕食、できたわよ。お父さんは今日も遅いらしいから、先にいただきましょ?」
「うん、今日のごはん、なに?」
階下からの匂いで、魚の煮付けだとわかってはいたが、久実は聞いた。
「鯖大根と筑前煮よ。好きでしょ? いっぱい食べてね」
「うん」
そのメニューを最初に好きだと言ったのは、父だったはずなのに、母の中ではいつのまにか記憶が書き換わっているようだった。久実は、母に組まれた腕が硬くなっているのが気付かれないだろうかと思いながら、階段を並んで降りた。組まれた上からさらに重ねられた母の手が、やけに重たく感じた。