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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

歩幅の違い 《連作短編集「デッドロックのはずれ方」5-2》

 翌日の昼休み、実佳は理科準備室兼、数学部の部室に向かっていた。詩緒を教室に訪ねて行ったのだが、昼休みも放課後も数学部にいると言われたのだ。

 

「誰かいますかー?」

 昨日の久実の話の衝撃で、だれかが昼休みデートしている現場に踏み込んだら、と部室に来るまでにいろいろと考えてしまい、実佳はノックするとガタガタ言う理科準備室のドアに呼びかける。

 

「へい、どーも」

 ドアを開けたのは、いかにも理数系な眼鏡男子で、ジャージの上に白衣という格好だ。

 

「あ、あの、片野さん、いますか?」

「片野さん……。あー、しーちゃんね。いま、売店に行ってるから、入って待てば」

「あ、はい、じゃあ、どうも」

 

 先生でもないのに、なんでこの人、白衣着てるんだろう。実佳はいぶかしんだが、すぐに理由がわかった。実佳をなかに通すとその眼鏡男子は、元は教室だった理科準備室の後方のホワイトボードに向かい、なにかの数式の続きを書き始めた。けっこうな筆圧みたいで、すぐにペンが滑って手に黒い線や点がつく。

 

「いちご牛乳買ってきましたー。あれ、実佳じゃん、どーしたの?」

 詩緒が校門の外の弁当屋の袋とテトラパックのいちご牛乳を片手にドアから入ってきた。

「いるって知ってたらもう一個、いちご牛乳買ってきたのに」

「なに? もう一個あったんならそれも買ってきてくれよ」

「佐野先輩、いちご牛乳ばっかり飲んでるともっと痩せますよ? 立派な大人になれませんよ?」

「立派な大人なんかどーでもいい。立派な数学者だけがおれの目標だ」

 詩緒がうんざりした顔で「はー」と声に出してため息をつく。

 

「そんで、どうしたの?」

「えっと、いや、ちょっと、相談が」

 実佳がちらっと眼鏡男子の方を見ると、詩緒は言った。

 

「あー、あれ? いちご牛乳と数式があれば、ほかの物事は目にも耳にも入らないから、気にしないでいーよ」

 それでも実佳の難渋を顔から読み取ったのか、詩緒は教室からベランダに出て、実佳を手招きした。

 

■ ■ ■

 

「実佳、ごはんは?」

「学食でおうどん食べてから来た」

「あー、じゃわたしは遠慮なく」

 詩緒はがさりと弁当屋の袋から二段になった弁当を出した。ハンバーグ重だ。

 

「え、そんな食べてたっけ?」

「いやこれがさー、数学解くのに頭使うのって、思った以上におなかすくんだよね。しかも昨日の宿題解いてからじゃないと、弁当買いに行かせてもらえないんだよ。スパルタだよスパルタ」

 詩緒はハンバーグの付け合わせのナポリタンを箸でたぐりながら言う。

「えっ、毎日昼休みにそれやってるの?」

「そーだよ。だって別にわたし理数系じゃないからさ、それくらいやらないと、ほかの部員に追いつけないっていうか、追いつけるってことはないんだけど、やってることがわかんないから」

 

 ほぼ二口でナポリタンは消え、ポテトサラダは一口で消えた。ハンバーグはまだ手つかずだ。中学の時より食べる量が増えたのはともかく、相変わらずの気持ちいい食べっぷりに、実佳はまたおなかがすいてきたような気がしていた。

「あ、食べてても聞いてるから、話しなよ」

「あ、うん」

 

 実佳は、昨日の先輩の話や久実の話を、行きつ戻りつしながら話した。詩緒はラスボスのように残したハンバーグを片付けつつ、ずっと黙って聞いていた。

 

「そうか、知ってしまったか」

「えっ、詩緒、知ってたの?」

「あれだけ派手にやってればねえ。っていうか、相変わらずそういうところ、疎いよね」

 黙ってしまった実佳に、とりなすでもなく詩緒は続ける。

「ま、そこが実佳のいいとこだけど」

 いいところなんだろうか。実佳は逸れていく考えを捨てて、言った。

 

「どうしたらいいと思う?」

「どうって、どうしようもないでしょ。久実があれで痛い目みないと。そんで学習しないと」

 

 ベランダの床を見ている実佳に、詩緒は言う。

「数式はさ、問いとか前提から導き出される答えって決まってるじゃん、過程が異なったとしてもね。それを変えることってできないけど、人間もそうなんじゃないのかな。本人が抱え込んでる前提ってやつが変わらないと」

「人間と数学、一緒にしないでよ」

「喩えの話だよ。むしろ数式の方が柔軟性あるって思うときもあるし」

 

 詩緒は弁当殻を持って立ち上がる。

「久実を変えようと思ってなんか言おうっていうなら、やめといたほうがいいよ。久実を一人にするだけだからね」

「久実を? わたしが、じゃなくて?」

「久実になんか言って人間関係がこじれても、わたしもいるし、あーたにはお母さんもいるし」

 昼休みの終わりを告げるベルが鳴った。詩緒はベランダから室内に入りながら、続ける。

「なんでもこっちとあっちに分けたら、久実がこっちに戻ってくる橋も叩き壊すことになりかねんよ」

「それに、いちおう久実も自分のクラスとか部活関係ではやってないみたいだし。まあ、そこでおさまらなくなったら、久実にもどうしようもないってことかもね」

 

 詩緒はしばらく同じ時間を過ごさないでいるうちに、やけに大人になったように見える。それとも、高校に入ったら久実や詩緒みたいに、そういうことがわかるのが、ふつうのことなのだろうか。

 

(これじゃわたしだけ、中学生のままみたい)

 

 実佳はあわただしく自分の教室に向かいながら、唇を噛みしめていた。

 

 

 

 

 

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