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絶対音感の幸不幸

先日、また絶対音感持ちの弊害を感じることがあった。感動的とうわさの、85歳の女性が弾くシューベルト動画を見たのだ。

 

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たしかに演奏は感動的だ。だが、微妙な音のズレに、調律〜! 誰か調律師を〜〜! と聴覚が悲鳴を上げる。ヤマハのこれなら出張調律費3万~5万円くらいだと思うので、こんな豪華な老人保健施設なら、ちゃんとピアノを調律してあげてほしい。思わず口直しならぬ「耳直し」に、エフゲニー・キーシンの弾く同曲を聴いてしまった。
これを聴いてからさきのご婦人の演奏を聴くと、なんとなくわたしの言わんとするところがわかってもらえるのではないかと思う。

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でもってこういうことがあるたびに、音を扱う仕事をしていたり、趣味としてやってはいないのに絶対音感があるというのは、あんまりハッピーなことじゃないんじゃないかな、と考えてしまうのだ。絶対音感があるがゆえに、まるで答え合わせのように音楽を採点してしまって楽しめていない気がするのだ。

逆に、絶対音感があることで幸せなことって、なんだろう? 絶対音感があることで、演奏がより感動的に聴こえる、なんてことはないように思うのだ。もちろん、絶対音感による採点をはねのけるようなすばらしい演奏に当たったときは感動的な時間を持つことができるけれど、それは絶対音感の有無は関係ないと思うし。

 

あ、ちなみに昨日の東京バレエ団の『真夏の夜の夢/セレナーデ』の劇伴は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団でしたが、これまでのなかではわりとまともな演奏でした。絶対音感がなければ、こういうのも「わりとまとも」とかいうようなバレエと切り離した感想ではなく、バレエとの一体感を感じられたな〜、ですむのだろうか……?