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ブッポーソー図解

ブッポウソウというと、姿は色鮮やかですが、その名前の元となった鳴き声「ブッポーソー」は、実はコノハズクのものであることが判明、サントリーの日本の鳥百科では、「羽色は派手ですが、色に調和性が無く、美しい鳥といわれることは少ないようです」などと書かれてしまい、立つ瀬なしという鳥。

 

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あっ、誰ですか? 立つ瀬がないから飛んでいる、とかいうのは。

 

このブッポウソウ、もとは「仏法僧」から来ているわけですが、これは推古天皇の時代に制定されたとされる「十七条憲法」の二番目の条項「篤く三宝を敬え。 三宝とは仏と法と僧となり」という文言に由来するようです。

この「篤く三宝を敬え」はどの仏教でも同じで、チベット仏教ではほとんどのお経の前書きにあたる部分に「仏陀・法・僧伽(修行者たちの集まり)の三宝への帰依」が明記されています。三宝への帰依が仏教徒としての信仰宣言となっているのです。

 

ダライ・ラマ法王代表部事務所でもこの方針にならい、この三つがセットで存在します。先日の事務所内部の写真をごらんください。

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真ん中が仏=仏像を安置したお仏壇。日本だとお仏壇は奥に仏像があり、手前にご先祖の位牌、あれば経典がありますが、チベット仏教では仏像のみ。

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向かって右側にあるのが法、すなわち経典。少なくともこれを全部(!)覚えないと、僧侶の修士・博士課程試験にあたるものにエントリーもできないのだとか。

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そして向かって左側が僧伽=修行者たちの集まりの象徴、僧オブ僧、すなわちダライ・ラマ法王のお写真。タンカ(仏画)もありますね。移動式ゲルなどの限られたスペースでは、仏壇に仏像かタンカ、もしくはその両方と、法王や高僧の写真という飾り方も見られます。

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このようにチベット仏教では、仏陀とその教え及びその解説も含む経典、仏陀が示す真理を信じ、仏法が私たちを苦から護ってくれるものであると信じる僧伽に帰依します。

 

が、この帰依は受動的なものではありません。ダライ・ラマ法王がよく引用されるように「仏陀は自らの言葉ですら、信徒たちが言葉通りに受け取るのではなく、まるで鍛冶屋が金の質を調べるようにそれを調べ、検証するようにしなければならない、と明確に述べられました」という能動的な態度が含まれます。

オウム真理教がオウム神仙の会のときから、「絶対的な帰依」が条件と聞いて、宗教マニアだったわたしは「それは変だろ?」と思っていたし、そういう変な思想なのに、教祖がダライ・ラマ法王に面会して握手写真とか撮っているのを苦々しく思っていました。

ちなみにキリスト教でもローマ・カトリックは「神の検証」を哲学的に繰り返してきており、やはり「自省すること」や「自分で見て聞いて考えること」をおろそかにするのはどうか、というところがあります。伝統宗教は自身が腐敗に陥らずに生き延びるために、結局はそうした批判精神を内包するにいたったのではないでしょうか。