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毒母入院・その2

母が入院して一週間して父に「その後どうですか」ファクスをしたのだが、返事がない。倒れてたりしたら不安だが、母が退院していたら会うのやだなー、と思って夫の人に、「かわりに電話してみて」と言おうとしたら、「ちょっと行ってくる〜」と趣味のバイクと兼ねて行ってくれた。夫の人は、のちのちわたしに不利益にならないように、と行動してくれているのだろうけれど、わたしだったら同じことはできないよなー、と思う。だって、自分の連れ合いを虐待してた人間たちの様子を見に行くってことなわけで。

さて、母はまだ入院しており、父は「状況に変わりないので返事しなかった」らしい。そんな父の「やればできるのに、やらない」様子をほかにも聞いて(食べ残しのパスタがお皿でカピカピになっていて、夫の人が「お食事中でしたか?」と聞いたら、「いや〜、片付けてないだけ〜」と、お掃除のヘルパーさんが来るまで手をつける気なさそうなのに、「お父さん、お茶でも煎れましょうか」と夫の人が言うと、「あ、煎れます煎れます」とちゃっちゃと動いてお茶の用意をする、など)、「顔が似ると中身も似るのか……」と我が身の干物ぶりを省みる。

というのも、わたしはとにかく父に見た目が似ている。こないだなどは、夫の人が写真を見ていて急に笑いだすのでなにかと思えば、「て、て、て、手までそっくり〜!」。
そうなのだ。そして書く字もだんだん似てきている。もっと有能な、英独仏にギリシャラテン語を読みこなすまでいたる語学のセンスとか、そういうところが似ればよかったのに……。ちなみに母に似ているのは身体が弱いのと色素が薄いことくらいである。母は小柄でグラマーだが、わたしはのっぽで痩せ型だ。

とはいえわたしの性格は、学問の世界に逝ってしまっている父とは異なる。父は振る舞いだけではなく性格上も「やればできるのに、やらない」が極まっている。虐待を見て見ぬ振りの父親、父親役ができない父親なのだ。人間の人格について研究する学問、哲学をやっていても、生活においてそれを実践できなかったら、それは意味があるのかな、と思う。わたしはそれで、「この家には自分の味方は一人もいない」と思い知り、「利用できるとこは利用してここを離れよう」と思うに至ったし。

なにせ、毒母に毎度のヒステリーをぶつけられた後に、きょうだいに「お父さん呼んでるよ」と言われ、慰めてくれるのか? と思ったら「ああいうの聞いてるとお父さん、胃が痛くなるからそうならないようにして」と言われたのだ。ちなみにこれを言われた高校の頃、教会の高校生会で愚痴ったら、「いいお父さんじゃん!」と言われて、えっ? 世間ではそういう評価になるの?と、たいへんに混乱した。それで「やはり自分がおかしいのか?」と思い、いよいよ虐待など家庭内のことをよそに相談できなくなったりした。

さて夫の人は父の様子を見てくれたあとに、入院中の母の様子も見てきてくれた。曰く、「しばらく会わない方がいいと思うよ〜」。というのは、認知症が進んできたのと同時に、「戦争がなければお嬢様だったはずのわたし」のイライラと自己憐憫が出てきているようなのだ。まあ、これまでもなるべく会わないようにしてきたので、現状維持である。

なおリハビリが始まったようで、前回、夫の人と様子を見に行った入院時より顔色はよかったとのことだが、「廊下の端から端まで歩くの。あと床に落ちてるものを拾ったり。みなさん、家事ができるようにってことなんだと思いますけど」と言いながらも、顔いっぱいに「わたしは家事なんかする身分じゃありませんんんんんーーー!」と書いてあるが如しだったというのだ。

いや、その生活は敗戦で終わったし、第一、戦後も食べる苦労もしてないし、お嬢様学校に通ってたじゃないですか……。それに四歳までのお嬢様生活より、その後の生活の方が長いのに、精神は順応できなかったのか? っていうか生まれたときにはすでに戦争中だったのに、なぜそれ以前の雇い人のいる超お嬢様生活にそんなに固執?(夫の人は「それはぼくが経験できなかったバブル期に激しく憧れるようなものだよ」と言うのだが。そんないいもんでもなかったぞ、バブル期) そもそも国家公務員であっても外交官でもない、官僚でもない、日本ではマイナー部門研究のいち教員と結婚する時点で、奥様生活にならないと予想できたのでは? という考え方はできないのだろうな。それができる性格なら、毒親になってないだろうし。

とかつらつら書いていたら、読者登録している id:PhilHardison さんのエントリが「毒親」でした。

philhardison.hatenablog.com

知らないうちに、どころかわかりきっているのについチェック項目を見てしまう……。こういうのも一種の自虐だろうか?

▼精神的虐待をする親に育てられた人が持つ11の特徴

1、2、5、6、7、8、9、11は当てはまるなー。

3の「ひどく悲観的」は鬱病になりやすい、ということなら当てはまるけど、常日頃はむしろ楽観的。「もうあの家にいないんだからなんとでもなるさ」っていうのがあるのかも。

4の「自分の感情を抑圧する」は、親の前ではそうかなー。付け入る隙を与えないためには、まず情報を与えないことが肝要だから。

10の「罪悪感を持つように育てられた」は、キリスト教的な原罪感と比べたら、毒母のかぶせようとしてくる罪悪感が支離滅裂で一貫性がないので、「ハァ?」という感じで見につかなかった。

 

▼専門家による精神的虐待の例

1~6、全部当てはまるなー。秋葉原無差別殺人犯の生育過程を読んだとき、自分とそっくりで驚愕したもん。