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毒母入院・その3

なにかあれば父からはFAXが送られてくるので、いまのところは母は退院もしてないし、急激に悪化もしていないと思われる。が、おそらくじりじりと認知症の度合いは進んでいるのだろう。

それについて夫の人と、「一歳しか違わないのに、認知症の『に』の字もない夫の人の母と、うちの母との違いはどこから来るのだろう」という話になった。そのときは、「アレルギーとか、もともとの体質みたいなものが脳にもあるのではないか?」と言ったけれども、やはり本人の姿勢もそうとう関係しているのではないかとも思う。

というのは、うちの母は数年前からかなり耳が遠くなっているのだが、補聴器を使わないのだ。最初は「いい補聴器がないから買えない」と言っていたが、買ったあとも会話中に聞こえないと補聴器を使うのではなく「え? なに? 聞こえない」と言って、こっちが大声で話すのを当然としている。つまり、外界に情報を取りに行く気がなく、他者が自分に合わせることを暗に(?)求めているわけである。今際の際になっても五感のうち最後まで残るのは聴覚だと、チベット仏教でも、最近の西洋医学でも認知されているが、そういうチャンネルを「開かない」という姿勢は精神をもシュリンクさせるんじゃなかろうか。医学界で「補聴器拒否と認知症進行度合いの相関」というような研究がすでになされていても驚かない。

母はよく「お父さんはいつも不機嫌」と言うが、四六時中これに付き合わされて大声で話をさせられていたら、そりゃあ不機嫌にもなるのでは。わたしだったら、聞こえない時点で補聴器を付けて情報を取り入れないと不安になると思うのだが、それは母がこれまでずっとやってきている、よく見えないからとメガネをかけるのといかほどの違いがあるのだろうか?

 

よくわかる補聴器選び2019年版 (ヤエスメディアムック570)

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そのように聞こえない状態で生活しているので、母のヴァイオリンの演奏は酷い。「え? なに? 聞こえない」となる前は、まあいちおう曲として成立していたが、ここ最近の発表会のデータをCDに焼く作業をしてくれている夫の人によると「おえー」だそうだ。わたしは「え? なに? 聞こえない」の初期の段階の演奏で聞く気が失せたのでそれ以後聞いていないが、夫の人によると「絶対音感持ちの人には無理と思う」ものだそうだ。

そして、わたしはもともとのどの粘膜が弱いので、「え? なに? 聞こえない」をやられると母と会うごとにのどが荒れ、季節的な条件が重なると風邪を引いて寝込むことになる。児童虐待から転じてのモラハラのほかに、これも母に会いたくない理由の一つだ。

こないだの入院時ももちろんそうだった。個室じゃないのに、ほかの入院患者さんにも聞こえるような大声でしゃべるのも迷惑だろうと思うと、気が引ける。次回、行かなければならないなら、ホワイトボードとペン的なものを持って行ったほうがいいのではと思うほどだ。

なお、骨伝導のタイプなら使うだろうかと父と夫の人に言ってみたが、「いや、使わないでしょう」とのことだった。使うように仕向けない、そういう関係性を築いてこなかった父もどうかと思うが。夫の人は、うちの母のような「自分が女王様、世界の中心と思ってるような人には行動を変えさせるのは無理だよ」と言う。しかし、それに付き合うのは、わたしはもううんざりなのだ。

ちなみにわたしは耳が遠くなったら、そのとき流行りのテクノロジーで補うのを楽しみにしている。それと、むかしベネトンがアクセサリーみたいにカラフルな補聴器を出していたけど、今はそういうのないのだろうか? 肌色や黒ばっかりみたいだけど。