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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

ラプンツェルと悪阻

小さい頃から「ここではないどこか」に主人公が脱出する話が好きだった。童話や民話はだいたい姫や娘や若者や王子が、どこかからどこかに移動したり脱出したりする話ばかりなので、よく読んだ。その中でも惹かれたのはラプンツェルの話だった。初めて読んだのはこの絵本だった気もする。

 

ながいかみのラプンツェル (世界傑作絵本シリーズ)

ながいかみのラプンツェル (世界傑作絵本シリーズ)

 

 

今にして思えば、閉じ込められて自由がないところとか、悪阻でどうしても食べたい野菜を夫に入手させるラプンツェルの母の横暴さなどに、自分の家庭環境を重ね合わせていたのかもしれない(ラプンツェルの父が登場せず、悪阻の母本人が野菜を入手しにいくバージョンもある)。

 

ラプンツェル―グリム絵本

ラプンツェル―グリム絵本

 

 

が、ラプンツェルの母が悪阻でどうしても、と求めた野菜は、わたしにとってながらく謎だった。小学校低学年で最初に読んだ子ども向けのラプンツェルの絵本には、その野菜は「萵苣(ちしゃ)」と書かれていて、ラプンツェルの父はブリューゲルの絵に出てくる裕福な農夫のような服装で、キャベツ畑のようなところにいた。しかし、夜に盗みに入ったという設定らしく、画面は全体的に暗く、「ちしゃ」なるものがどんなものなのか、よくわからない。

ところで実家にはグリム童話などの日本語訳のいろいろなバージョンがあった。そこで、子どものわたしは別の古いものを開いてみた。旧漢字仮名遣いのものを苦労して読んで、というか子ども向けの絵本と対照させてたどっていくと、「ちしゃ」にあたるところには「蔬菜」とあった。「蔬菜」の「蔬」、読めない。くさかんむり以外の部首の名前もわからなかったから、漢字辞典もあたれない。お手上げであった。

 

ラプンツェル―グリム童話 (おはなしのたからばこ 16)

ラプンツェル―グリム童話 (おはなしのたからばこ 16)

 

 

そしてそれから「ちしゃ」と「蔬菜」のことは、ずいぶん長い間、忘れていた。次に思い出したのは『本当は恐ろしいグリム童話』がブームになった頃。グリム童話の怖さについてはすでに学術的に知っていたのであまり興味は惹かれなかったが、ふいに「ちしゃ」のことを思い出した。そして出回っているラプンツェルの物語を読んでみると、そこには「ちしゃ」ではなく「のぢしゃ」とあった。

「のぢしゃ」。「の」はおそらく「野」であって、きっと「ちしゃ」より原種に近いのだろう。たとえばバラ科の苺と野苺のように。そう思ったが、相変わらずそれらの正体はわからない。そこでなぜか、実は野菜ではなく、ハーブか野草なのかも? と閃いて調べてみたところ、当たらずとも遠からずであった。そして「野萵苣(のぢしゃ)」は「Ra'punze」であり、ラプンツェルRapunzelは「のぢしゃちゃん」というような意味であることも判明。

同時に「ちしゃ」と「のぢしゃ」は近縁種ではないという、意外な事実も判明した。「ちしゃ」はレタスのことであり、レタスはキク科(!)なのだそうだが、「のぢしゃ」は本名マーシュというサラダ野菜でオミナエシ科、江戸時代にヨーロッパから長崎に持ち込まれ栽培されていたのが日本全国に野生化して分布しているのだという。そうだったのか……。なお国立環境研究所ではオミナエシ科だが、スイカズラ科としている情報もあって混乱する。オミナエシ科はスイカズラ科に含まれるとの説も。

 

 

あれ? では、「蔬菜」とはなんだったのだろうか。大人になってからはこれを「そさい」と読むことはわかっていたので、いつもの『日本国語大辞典』を引いてみる。

 

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……「蔬菜」、そんな大雑把な意味だったとは! それなら「ちしゃ」も「のぢしゃ」も含まれるけどさあ。

そして、ラプンツェルの母も、悪阻になってサラダ野菜がどうしても食べたい、となるとは、不思議なものだとも思った。ハーブならまだしも、なぜそんな味の薄いものを? しかし、ふだん味の濃いものを食べていての反動だとしたら、けっこうリアルな悪阻描写だったのかもしれない、ラプンツェル母の「のぢしゃ」渇望。