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アヴィニョン捕囚は「捕囚」といえるのか?

アヴィニョン捕囚、別名では「教皇のバビロン捕囚」とも呼ばれているけど、昔からこの名称と別名に納得しがたい。

まず、かたやユダヤ教、かたやキリスト教の出来事であり、次に、アヴィニョン捕囚の内実はバビロン捕囚に擬えるようなものではない。

バビロン捕囚は南ユダ王国新バビロニア王国に滅ぼされて国民だったユダヤ人がバビロンに強制移住させられてるけど、アヴィニョン捕囚では教皇は監禁もされてないし豪勢な教皇庁建設しちゃってるわけだし、フランス王家内のフランス派とイタリア派、そして教皇自身、ローマの教皇庁のがっぷり四つに組んだ政治争いで、一方的に教皇が「捕囚」されるような事態ではないし(むしろ南北朝の争いに似ていると思う)。

名称も、フランス語では La Papauté d'Avignon つまり、英語でAvignon Papacy。直訳すれば「アヴィニョン教皇」で、どこにも捕囚の意味はないわけで、それも含めて納得し難いわけですよ。

ちなみに「アヴィニョン捕囚」事件当時、「バビロン捕囚」って呼び方を流行らせたのは、イタリア側の教皇を取り戻したい派閥だったんじゃないかと疑ってる。

教皇庁の機能がごっそり移転したら、「お偉いさんが何やってるのか知らんけど、商売あがったり」になる庶民の間で流行らせたんだろうな〜と。

でもって、アヴィニョンを「西方のバビロン」と蔑称したペトラルカの詩も、その流行に寄与したんだろうな〜とか、一人で本も読まずにお茶してるときには考えているわけです。

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